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大洋技研株式会社 みらい開発室室長 西端秀記「開発で大事なことは、あきらめないこと」マージャンで生きる人たち 第28回

大洋技研株式会社 みらい開発室室長 西端秀記「開発で大事なことは、あきらめないこと」マージャンで生きる人たち 第28回

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 西端秀記さんが大洋技研株式会社に入社されたのは1980年。世界のホームラン王・王貞治さんが引退し、任天堂株式会社が携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」を発売した年でもあった。
 以来約40年、西端さんは麻雀牌の製作をはじめ、全自動麻雀卓の開発まで、あらゆる麻雀用具の製作と開発に携わってきた。
 現在、国内で製造されている全自動麻雀卓は、大洋技研と株式会社鳳凰の2社。大洋技研が全自動麻雀卓の開発に着手したきっかけは「なぜ牌を手で積んでいるのですか?」という設計士からの素朴な疑問にあったという。その開発にまつわる苦労と思いを聞いた。

西端秀記(にしばた・ひでき)プロフィール

1961年、和歌山県生まれ。さそり座、AB型。大洋技研株式会社みらい開発室室長。麻雀を本格的に覚えたのは入社以降。「3人打ちはスピードが速く、とにかくでかい役をアガればいいんじゃないですかね(笑)」

 

入社以降、どんなお仕事をされて来られたのですか?

「弊社はユリア樹脂(※)で洋服のボタンを作っていたんですが、そのユリア樹脂を使って、手打ち用の麻雀牌も作っていました。入社当時は、月2万セットと日本一の生産数でした」

「その頃の麻雀牌は、アクリルと竹で作られていたものがほとんどだったんですが、弊社の先代がユリア樹脂を使い始めてからは主流となり、任天堂さんからオーダーを頂き、ユリア樹脂を使った竹目模様を再現したスリートーン牌(三層構造)を納品するようになりました。当時の任天堂さんは麻雀牌をはじめ、花札やサイコロが主力商品だった時代。任天堂さんが大きくなったのは、大洋技研の麻雀牌のおかげだと聞かされたこともありました。今は雲の上の会社になりましたけどね」

※ユリア樹脂=パルプと尿素とホルムアルデヒドの反応により得られる熱硬化性樹脂のこと。

 

全自動卓の開発を始められたのは、いつ頃だったのでしょうか?

「設計士の方から、全自動麻雀卓を開発したいという依頼を受けたことが始まりです。その方は麻雀をやられない方だったんですが、麻雀をやっているところを見て、『なぜ牌を手で積んでいるのですか?』 と質問されたのです。この何気ない疑問が、自動で牌を積んでくれる全自動卓の開発にチャレンジすることに繋がりました。1987年、娘が生まれた年のことでした」

 

開発にあたって意識されたことは?

「最大のミッションは軽量化でした。全自動麻雀卓の歴史は、1974年頃に登場した半自動麻雀卓・マグジャンに始まり、1980年代に入ってからは全自動麻雀卓が登場し始めました。ただ重量が1台70㎏ほどあったので、作業も一人では行えず、納品時も必ずふたりは必要でした」

「設計のコンセプトは、家庭にも入れられるような軽い麻雀卓だったので、軽量化を目指して開発が始まりました。当時はすでに4社ほどが全自動麻雀卓を製作していたので、弊社は後発でした」

「具体的には、ベース部分に鉄板ではなく、樹脂を採用しました。でも普通の樹脂だと寒暖差によって収縮し、反ったり成形不良となってしまうので、ユニットバスに使われるようなガラス繊維の入っている無収縮の樹脂をベース素材として使用しました」

「さらに既存の全自動麻雀卓の作動部分に付いていた3つのモーター、牌投入時に開く部分、牌が上がってくる部分、ベルトコンベアーで運ばれてきた牌をエレベーターに乗せる部分に付いていたモーターをひとつに集約し、3段階のクラッチ機能を付けました。これらの簡素化により、最終的には30㎏にまで軽量化し、ひとりでも作業できる重量になりました」

「またその頃の全自動卓の枠は木製が一般的だったので、R(アール)曲線がつけられませんでした。そこで弊社の得意分野であるプラスチックを枠素材に使用することで、斬新な流線型のデザインフォルムを実現出来ました。デザインは、日産のCIMAの外観フォルムをイメージしました」

「こうして誕生したのが大洋技研の第一号となる全自動麻雀卓『AMOS GABIN(アモス ギャバン)』です。1987年に発売して以降、改良を重ねながら、第1号は2001年までに2万台販売しました」

アモスギャバンのギャバンは、フランスの映画俳優で歌手としても活躍したジャン・ギャバン(Jean Gabin)がネーミング由来

 

どんな改良を積み重ねて来られたのですか?

「全自動卓で最もパワーが必要だった部分は、牌を送り込むエレベーター部分でした。でもクラッチ機能ではパワーを分散することは出来なかったので、まずはその部分を改良しました。そして第1号の本体機能をベースに、点数表示機能、積み棒表示機能、集計機能等を追加していきました。車と似ていて、車種は同じでも機能や内装やデザインが変わるような感覚です」

 

最も画期的だった開発はなんだったと思われますか?

「やはり1995年に追加した点数表示機能です。当時は通常時、1点表示(プレイヤー自身の点数表示しか見られなかった状態)で、ボタンを押さないと相手の点数は見られませんでした。他社は点棒を決められた場所に入れて、その重量を認識して表示するものだったのですが、点棒箱の蓋を閉めないと見られない不便さがありました。それを点棒箱を閉めなくても点数が表示されるように改良し、点棒の重量ではなく、電気抵抗で認識するシステムを開発しました」

「アモスモンスターという名前で1995年に発売したのですが、発売当初の1年間は、ユーザーから点数表示が正確に合わない、点棒が認識されないといった意見が届いたんです」

 

ユーザーからの意見に対してはどのような対応をされたのですか?

「卓の微妙な振動により数㎜ボルトながらもスパークが発生し、そのことによる焦げ付きが原因で接触不良が起こりうることが判明しました。そこでスパークを防ぐため、点棒箱の下に磁石を挿入しました」

「後に特許を取ったこの発想のヒントは、湯沸かし器のポットにありました。コンセントをつなぐ部分が磁石でカチッと止まることによって、瞬間に発生するスパークを最小限に食い止める役割があるのです。ネオ磁石といって、通常の磁石より10倍ほどの力を持つ磁石を2㎜厚の板状にして点棒箱に応用したことで、点棒の振動を抑えられ、長時間使用してもスパークによる接触不良が起きなくなりました」

「さらに1998年に1点表示から、常時全員の点数が見られる4点表示を開発しました。そしてアモスアルティマ発売以降、アモスレックスに至るまで、現在発売している点棒箱は、ETCと同じ電波で認識するようになっているので、点棒をどこに入れても表示出来、掃除や手入れをしなくても使用出来るレベルにまで進化しています」

修理メンテナンス対応も担当。「自社製品以外の台でも、機能を逆算してトラブル修理に対応しています」

 

4点表示の点数表示機能が完成したことによる変化は?

「4点表示に切り替えた1998年以降、時間制の貸し卓全盛期から、フリー麻雀荘が全盛の時代を迎えました。フリー麻雀荘では箱下(点棒が原点配給を割ること)になった時点でゲーム終了となるので、早く終われば売上げも上がるわけです」

「それでユーザーからの要望により、配牌完了システムやドラ出し機能を開発していきました。ユーザーから届いた機能増加の依頼は2001年頃から増え始め、全自動麻雀卓は進化していきました。とにかくスピーディーなゲーム進行が求められていたのです」

 

第1号以降の卓変遷は?

「アモスギャバンは軽量化を目指し、すべてを薄くしたので安く見られてしまう感は否めませんでした。そこで卓自体がゴージャスに見えるよう、アモスコングには、車につけるスポイラー(エアロパーツ)をイメージしてデザインしました。このようにアモスギャバン以降は、5機種のデザインも手がけました。アモスレックスは、トヨタのレクサスのフロント部分をイメージしたように、時代ごとに流行った車のデザインを参考しました」

 

みらい開発室は何人いらっしゃるのですか?

「元々3人チームでやっていたのですが、現在は2人体制で、製品製造、技術開発を担当しています。試作はすべて鉄板から形を組み上げます。いいと思ったことにはなんでもチャレンジし、加工、穴あけ、切削、溶接といったことを日々繰り返しています」

終業後、社員が集まって行う試打。「試作部分がよくなったかどうかを即確認しています。真剣に(笑)」

 

西端さんが入社されたきっかけは

「17歳の高校生だった頃、バイクの後ろに乗せてもらっていた時に事故に遭って足を複雑骨折してしまい、1年ぐらい入院していたんです。卒業は出来たものの4月になっても就職が決まっていない状態。そんな頃、近所に住んでいた大洋技研の次長さんがウチにこないかと声をかけてくれたんです。それで1980年5月、18歳の時に入社しました」

 

入社当時の西端さん。「工業高校の機械科にいたので、図面はよく書いてました」

 

麻雀を覚えたのはいつ頃だったのですか?

「中学校時代に多少牌に触れたことがある程度で、会社に入ってから本格的に覚えて毎日やるようになりました。休みの日もほとんど麻雀で、終業後に行う確認作業の麻雀も含めると年間200日は麻雀ですかね(笑)」

「麻雀って組み合わせも自由で正解はない。ツキもありますし。将棋の場合は実力で決まるけど、麻雀は実力とツキで決まる。ゲーム性はもちろんですが、実力も性格も出ることも本当に面白いですね」

 

チャレンジし続けるモチベーションの源は?

「出来ないことを可能にする。頼まれたらとにかくやってみようと考えることが、モチベーションに繋がっているのかもしれません。ユーザーの方からいい物出来ましたねって喜んで使って頂けることが何より嬉しいんですよね」

「また会社の中だけにいても、同じ発想しか出て来ないので、旅に出るような感覚で、違う分野を見に行くこともあります。ボウリング場の裏を見させてもらい、ボウリングのピンを吸い込む機能をヒントに、全自動卓に取り入れたこともありました。新幹線から見た景色や、都心の高層建築を見てヒントを得たこともあります。職場を離れても、考え続けているからなのかもしれません」

 

これから開発の仕事を目指す人へのメッセージ

「開発で大事なことは、あきらめないこと。そして研究と実演をとことんやることです。いやいやではなく、好きだから出来るというのはあるかもしれませんね」

 

インタビューを終えて

 素朴な疑問をきっかけに、ユーザーからのニーズに試行錯誤を繰り返し、進化し続ける全自動麻雀卓「AMOSシリーズ」。「今現在もさらにゲームスピードを上げるために開発していることもあります。トラブルなく快適に麻雀できるのが理想ですからね」と、その進化の根幹には、たゆむことのない“麻雀愛”が込められていた。

 大洋化学株式会社の社是(会社経営上の方針・主張)は「誠実と堅実」「信頼と協調」「研究と実践」「挑戦とスピード感」。西端さんのまさに社是を体現され続ける姿勢により、麻雀用具にも“心”があると感じた。 

写真協力:大洋化学株式会社/インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)

 

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