私は「点数計算の簡略化で普及が進む」という主張には懐疑的ですが、第10回でお話したように、できれば簡易的かつ整合性の取れたルールを採用したいとも思っております。
では、リーチ麻雀を普及させる際、どうして整合性の取れたルールにせず、従来のルールに例外規定を加える形にしたのか。
再掲しますが、麻雀にリーチを導入する際、伝統的なアルシアール麻雀を採用していた日本麻雀連盟からは大きな反発がありました。リーチを採用することで技術介入要素が減る、あるいは博打的になることを危惧されたためでした。
これについてリーチ推進派の天野大三氏が、立直を採用した方が戦術的に高度となり、むしろ麻雀は競技的になると主張し譲らず、その後「報知ルール」としてリーチ麻雀を全国的に普及させたのは第1回で取り上げた通りです。
ここからは歴史的な記録がないので私の想像でしかありませんが、この時点で、「リーチを採用しつつ、点数計算を整合性が取れるものにするために符計算を廃止する。」と主張されていればどうなったでしょうか。リーチを導入することにただでさえ大きな反発があったのですから、なおのこと受け入れられなかったのではないでしょうか。ややもすれば、リーチ麻雀そのものが普及することなく忘れられたルールになっていたかもしれません。
新しい考え方がどれほど優れていたとしても、それを広めるうえでは、従来のやり方に親しんでいる人を全面的に否定するやり方では上手くいかないものです。よほどの権威があれば別かもしれませんが、そのやり方ではいずれ自分が否定される側になりかねません。今の視点からみれば不合理なものも多々ありますが、歴史として記録に残っていないとしても、そこには先人方の時代背景を踏まえた熟慮の末の結果かもしれません。
ゲームに限らず、長年親しまれているものはその歴史を辿ることができるものです。逆に言えば、歴史が忘れ去られてしまうようであれば、将来の発展を望むことはできないのではないでしょうか。私が麻雀を覚えてから今年で30年。戦術面に関しては急速な発展を遂げましたが、その一方で、麻雀の歴史の話を聞くことが段々と減ってきたように感じます。そのことに危惧を覚え、僭越ながら今回のコラムを書かせていただきました。
拝読ありがとうございました。次回からは、「麻雀に正解はあるのか」というテーマを取り上げさせていただきます。