前回からの続き。もう一つ思い浮かんだエピソードは、先月レビューいたしました、「麻雀強者の0秒思考」のコラムで。流局まで中張牌を切り、誰からも鳴かれなければ流しタンヤオでダブル役満という特殊ルールがある三人麻雀で、著者のZERO氏はダンラスでしたが、残り1枚で流しタンヤオが成立の局面。ここでを切ると、他家がポンと間違えてロンと発声。すぐさまポンと言い直しましたが、厳密には誤発声。ルールに則ればポンは無効になるところ。皆様が当事者であればどうされるでしょうか。
利己的に振る舞えば、その瞬間は小さな得を拾うことができても、長期的には人に嫌われる。利他的に生きれば。必ず周りが認めてくれ、環境が変わる。
著者はそのポリシーから、譲る形でポンを認めてそのままラスを引くことを選ばれました。
しかしながら、「長期的な利益」を麻雀における勝ち負けに限定するなら、やはりポンの無効を主張した方が得でしょう。前回は大人しくしていてもトップが取れる局面の話でしたが、今回は選択次第で局の結果が大きく変わります。
大勝負でダンラスからのダブル役満。決して小さい得とは言えません。そして、著者は普段から常に利他的に行動することを意識してきた打ち手。こればかりは譲れないと主張しても、対局者も彼の言うことならと納得し、その後も有効な関係が保つことができた可能性が高かったのではないでしょうか。
ですが、前回はあくまで打牌選択の範疇でしたが、今回は相手の意図しない違反行為を指摘するという打牌選択以外の行為。麻雀の打牌選択という枠組みであれば最大限自分の利益を追求しても、その枠組みの外であれば、心地よく麻雀を打てる環境を作るためにも、可能な限り「利他的」に生きたい。私の勝手な想像かもしれませんが、これは長期的な利益を考えて嫌われない選択をとったというだけでなく、麻雀というゲームに対して真摯に向き合いたいという、著者の強い意志の表れのように思わされました。