役満の点数を四倍満とするのが一般的になったのは「新報知ルール」が発表されてからというのは前回お話しました。こちらによると、昭和40年代の時点では、役満の点数は三倍満とするのが一般的で、現在の三倍満に相当する、「数え役満」が採用されるようになったということです。
当時はまだ裏ドラが存在せず、「数え役満(現在の三倍満)」が無いルールも行われていたとのことなので、数え役満を採用しない場合は、当時は通常役の複合でできる最高得点は倍満だったということでしょうか。
役満が三倍満と聞いて、高校生の頃友達から見せてもらった古い麻雀本を思い出しました。タイトルは、『新現代ルールによる図解麻雀入門』。調べてみたところ初版が1979年(昭和54年)。筆者はリーチ麻雀の普及者でもある天野大三氏。こちらでは役満を三倍満、四倍満、五倍満に分けていました。
この辺りは記憶があやふやですが、三倍満として紹介されていたものに人和、百万石(マンズのホンイツかチンイツで数字が100以上)、大車輪(現代車輪)、么九振切(流し満貫のことだが、満貫ではないのでこの名前を用いている)がありました。大車輪はピンズの2〜8のチートイツのパターンのみ。それならそもそも役として採用しなくても三倍満になりそうなものですが、実は本書のルールでは二盃口は2翻役。代わりに清盃口という、二盃口の2組の数字が一致したものを3翻役として採用されていました。
五倍満として紹介されていたのが大四喜、九蓮宝燈、十三龍門。十三龍門は国士無双+天和か地和か人和。圧倒的な難易度ですが、人和で国士無双を振り込んだ経験がある方を1人知っています。配牌で国士無双テンパイに至っては人から聞いた話からネット麻雀の牌譜も含めれば二桁に届きそうなので、長年麻雀を打ち、麻雀で色々な人と知り合っていると案外どこかで聞くことになる話なのかもしれません。
他にも、字一色七対子は役満扱いではなく10翻役、一色四順が5翻役(食い下がり無し)として採用されていました。どちらも九蓮宝燈よりずっと難しい役満だと思うのですが、どうしてこの翻数になったのかは気になるところです。