現在、競技麻雀では数え役満が採用されることはありませんが、麻雀にリーチが導入される前に遊ばれていた、アガリの最高点が満貫のアルシーアル麻雀においては、通常役の複合でも「満貫」になる場合があります。
40符以上なら5翻(場ゾロ無し)で満貫。リーチもドラもなく、通常役の翻数も現在の一般的なルールに比べ軒並み低いですが、例えばチンイツタンヤオトイトイで満貫になります。
昭和27年(1952年)に報知ルールによってリーチが普及したことはこれまで紹介してきた通りですが、ドラについても同時期に現在のルールのように、ドラ表示牌の次の牌をドラとして、1枚につき1翻とするように取り決められたようです。
ところが、アルシーアル麻雀は通常役についてはチンイツの3翻以外は全て1翻(連風牌は場風と自風、混老頭はトイトイが必ず複合するので2翻)。ここにそのままリーチとドラを導入するとなると、リーチとドラを含めれば簡単に満貫に届いてしまい、高い手役を狙う意味合いがかなり薄れてしまいます。よって、リーチ麻雀が普及するにつれて手役の翻数が上がり、点数計算がインフレ化していったのは自然な流れと言えるでしょう。
どのような過程を経てインフレが進んだのかは定かではありませんが、昭和40年代初頭には現在の役満が三倍満相当、数え役満は採用されなかったこともあったとあることから、昭和27年〜昭和40年の間に、アガリの最高点が倍満だった時代があり、満貫→倍満→三倍満のように推移していったものと思われます。
倍満から三倍満の流れについては、表ドラだけでなく、裏ドラ、赤ドラも採用されることが増えたことに起因するものと想像します。
▼浅見了氏の麻雀祭都-数え役満についての説明
こちらでは、昭和40年代初期には裏ドラは無かったとありますが、関西方面では昭和30年代の時点で裏ドラ有りのルールが普及していたあとあります。
▼日本麻雀連盟 公認HP-麻雀の歴史
赤ドラについても、1964年(昭和39年)の東京五輪をきっかけにが製造され、それ以前から存在していた可能性もあることについて第113回で取り上げました。裏ドラ、赤ドラ有りの麻雀では通常役だけで倍満に届くことは日常茶飯事。それでは役満の立つ瀬が無いということで、三倍満にまで引き上げられるようになったのではないでしょうか。
それから通常役の最高点も、「数え役満」として三倍満にまで引き上げられるルールが一般的になったことから、やはり役満は特別ということで四倍満相当になり、1979年(昭和53年)の新報知ルール制定により定着。競技以外の分野では、通常役の最高点も四倍満に引き上げられ、麻雀ゲームの普及(ファミコンの「麻雀」が1983年発売)で一般的になったというところでしょうか。ここまでの流れは私の想像に過ぎませんが、そう考えればルールの変更されてきた理由として辻褄が合うような気がいたします。