前回の疑問点について私なりの考察。堀内氏は「麻雀麒麟児の一打 鉄鳴き」の後に、「神速の麻雀」を洋泉社より出版されます。出版社が同じということもあり、分かりやすくした「現麻本」と言われることもありますが、両者の違いを挙げるとするなら序盤の手組。「神速の麻雀」では字牌から切って最速でリーチを打つ戦術が推奨されていますが、現麻本はどちらかと言えば重なってからの仕掛けも意識する字牌温存スタイル。他に字牌が重なればそれほど安牌を考慮せずに仕掛けていける、あわよくばのホンイツやトイトイがあるというのもあります。
フーロ基準が同じでも、手組の段階でフーロをどの程度意識するかでフーロ率が変わると考えられます。その意識の差が、35%と40%の違いに現れているのではないでしょうか。
実際、私も最近は字牌から切るケースを増やしたことでフーロ率が35%前後にまで下がりました。打ち筋を変えた理由の一つは打点。鳴いて役牌ドラ1は2000点ですが、リーチドラ1はメンゼンツモや一発裏ドラ込みで4600点程度、何らかの手役がつけば更に高打点が期待できます。「何らかの手役」がつく可能性は低いことが多いですが、可能性が低いからといって無視するよりは、低いなりに意識したうえで基準を少しずつメンゼン寄りにした方がよいと考えました。
もう一つは、遠い仕掛けを厭わない打ち手が増えたことにあります。相手の仕掛けの幅が広い程、「タンヤオが否定されている仕掛けに対して役牌を絞るべきかどうか」の判断が難しくなります。判断が難しいケースはどうしてもミスが増えるので、手牌のうえでどちらを切っても大差ないなら、局面を分かりやすくした方がよいと考えました。相手の仕掛けが遠いところからであるなら、速度を合わせてこちらも鳴き前提で手を進めるよりはメンゼンでリーチを狙った方がよいというのもあります。
私とリツミ氏のフーロ率の違いについては、フーロ基準以外に、「フーロ率は1局中に1回でも鳴けばカウントされ、何フーロしたかは問われない」ことにも理由がありそうです。「超メンゼン主義麻雀」で自分と判断が違った局面の大半は、「鳴いても先手を取れずに降りに回る展開になりやすい局面」。鳴き派はの主張は、「うまく間に合うことを期待して鳴き、鳴いて手牌を狭めても案外降りきれる」。メンゼン派の主張は「どうせ間に合わなそうならあわよくばメンゼンでテンパイすることを期待、1件リーチだけならともかく、複数からテンパイが入ることも踏まえると鳴くと案外手詰まりする」というところ。このようなケースは実戦で案外頻出するので、「とりあえず鳴いてみる」と考える打ち手と、「ほぼ鳴かずにメンゼンに決める」と考える打ち手では、フーロ判断が分かりやすいケースの基準は大差なくても、結果的にフーロ率で10%以上の差がつくというところでしょうか。
先程申しましたように、私はここ最近でフーロ率が40%から35%前後まで下がっています。大幅に打ち方を変えたつもりはないのにそこまで変わるとなると、今後は「超メンゼン主義麻雀」の影響で30%を切るところまでいくかもしれません。意図的にフーロ率を下げようとまでは思いませんが、フーロ率20%台になったら麻雀がどのように見えるのか、その世界観を少しだけ垣間見たいという気持ちはあります。