私が「フーロ率」の概念を初めて知ったのは高校生の頃。2002年に発売されたゲームソフト「徹萬アドバンス」のゲーム内のデータでした。寮内にゲーム機持ち込み禁止の中高一貫校で6年寮生活をしていたので、週末はゲームをするためだけに実家に帰っていました。週末しかゲーム機で遊べないとなると、わざわざゲームソフトを買う気にもならないので、ソフトは専ら弟が買っていました。当時の私は、麻雀はたまにやる程度でしたが、弟は相当麻雀にハマっていて、麻雀するだけなら1本買えば十分なところを何本も購入していました。
「徹萬」では天鳳同様、順位率やリーチ率、フーロ率といったデータが記録されるのですが、弟が遊んでいるデータを見た時、フーロ率は確か27%程度だったと記憶しています。当時の麻雀プロの戦術書の影響もあってか、紛れが起こりやすいインフレルールを好まない弟は一発裏ドラ無しで遊んでいました。メンゼンの価値が低いルールで27%となると、かなりのメンゼン派というところでしょうか。
「徹萬」は日本プロ麻雀連盟監修の麻雀ソフト。ゲーム内では当時の九段のプロと、当時から人気の二階堂姉妹が登場します。今は亡き安藤満プロは鳴きの講座、小島武夫プロは手役作りの講座というように、本人の雀風に合った講座があり、半荘の結果で評価が増減し、一定以上になると認定試験(初段以上は実際に免状を申請することもできる)が受けられるのですが、メンゼン派の弟は安藤プロの評価がなかなか伸びず、「メンゼンで頑張り過ぎだよ。」とよく言われていました(笑)
一方当時の私はどんな感じだったかというと、メンゼンにこだわる感覚はあまりなく、分かりやすいうえに鳴いても高くなりやすいからと、見え見えでもホンイツ、チンイツを狙うのが好きだった記憶があります。ただし役牌トイツがある手で何としてでも染めようとまではせず役牌のみでもよしとするスタイル。しかし後付けは一切やらなかった記憶があります。理由は片アガリを嫌ったからというより、そもそも役が確定していないところから鳴く発想が無かったためです。
「亜空間殺法」の安藤プロの例があるように、当時のプロが誰しもメンゼン派というわけではなかったのですが、当時触れる機会があった麻雀関連のコンテンツを思い返すと、印象的なのはやはりメンゼンで綺麗な手をアガっているところばかり。人は自分の発想に無いことは出来ず、見たことがないものを発想するのは難しいことを踏まえると、当時の私はメンゼン主義のつもりはありませんでしたが、「なんとなくメンゼン派」くらいの立ち位置ではなかったかと、当時を思い返したことでした。