私は小学校に入学する前から麻雀のルールを覚えていましたが、流石に当時小学生の年齢で麻雀相手がいるはずもなく、趣味は何かと聞かれたら将棋と答えていました。
「趣味が将棋」と答えると、将棋を指さない人には必ずと言っていいほど、「何手先まで読めるのか」と聞かれました。当時は不思議に思っていたのですが、数字は誰にでも分かる客観的指標。その人がどの程度の能力を持っているのかを、ルールくらいしか知らない人にとっても何となく理解できる指標が何手先まで読めるかということなのでしょう。「趣味が大食い」と答えて、「ご飯何杯くらい食べられますか」と聞かれるようなものでしょうか(笑)
将棋棋士が「何手先まで読めるのか」と聞かれた時のエピソード。かの木村十四世名人は、「3000手」と答えたそうです。後輩棋士が流石にそれは大げさではないかと驚いたそうですが、名人は「君だって一つの局面で5通りくらい指し手が思い浮かぶはずだ。そしてその一つ一つに、君だって5手先くらいは読める。つまり5の5乗の5乗で3000手以上だ。」という話をされたそうです。
麻雀も一つの手牌に対して、3通りくらい打牌候補が思い浮かぶことはよくあります。そして4枚見えの牌が無く赤ドラを考慮しなければツモの種類は34通り、その一つ一つにまた数通りの打牌候補があるのですから、数巡先の手牌を想定するだけで、何千、何万通りものの手順を考えていると言えなくもありません。
しかし、何万通りものの手順を考えることができるようになれば、麻雀が強くなったと言えるわけではありません。確かに数巡先のことまで想定できる人の方が強い可能性が高いというのは確かですが、重要なのは手数ではなく精度。数巡先のことほど実際にそのような手牌になる可能性が低いのですから、下手に打牌選択に反映させようとすると、かえって正解から外れてしまう恐れもあります。
「何手先まで読めるのか」という質問に対し、大山十五世名人は、「1手先が読めればいいのです。」と答えたそうです。質問への解答にはなっていませんが、将棋に限らず、卓上ゲーム全般に通じる真理ではないでしょうか。麻雀で何を切るか迷ったら、打牌毎の長所短所を単に列挙するのではなく、まずは「1手進んだ形を想定する」ことをお勧めします。1手先の手牌評価が正しくできていれば、実はこれだけで何切りが有力なのか自ずと見えてくるようになるものです。
具体的にどのように評価するのかについては、これまでも個別のケースをいくつか取り上げてきましたが、より汎用性が高い形で、今後少しずつ取り上げていければと思います。