さすがに、かける言葉が見当たらなかった――。
「麻雀ウォッチ プリンセスリーグ2019予選第2節Bブロック2卓」。日本プロ麻雀協会所属、「絶対零度のカテナチオ」こと水口美香は、ブロック内最下位でこの日を迎えた同卓者は1位の逢川恵夢、3位の安達瑠理華、4位の冨本智美。Bブロックは上位2名が大きく抜け出し、3位以下がマイナスポイントという異常事態に陥っている。
上位2名とのポイント差があまりにかけ離れているため、3位と4位に与えられるプレーオフ進出権をかけた争いの激化が予想される。ただし、この第2節の結果次第では2位以内に食い込む可能性も十分にあり得る。その点に関しては、水口も同様の計画を立てていたという。
「とりあえず第2節で3位になって、最終節に2位になるというプランを立てていました」
トップラスを一度決めれば、素点を含めておよそ100ポイントは縮まる。やはり準決勝進出が確定する2位以内は魅力的だ。だが第2節の前半2戦を打ち終えた結果――痛恨の2ラスを引いてしまう。負債は倍以上に膨れ上がり、マイナス200ポイントを越えた。誤打と呼べるような局面はなかったように思う。警戒するのが困難すぎるヤミテンに放銃したり、リーチ後にめくり合いで敗れたり、巡り合わせの悪さや不運の積み重ねが最悪の事態を生んでいた。予選12半荘のちょうど半分を消化したところで、この大敗である。もちろん可能性が潰えたわけではないけれど、まだ巻き返せると簡単に口にできるほどの状況でもなかった。
故に2回戦終了時のインターバルで、水口に何と声をかけたらいいのかわからなかった。休憩中、選手の過ごし方はそれぞれだ。一人静かに集中力を研ぎ澄ます者、前局の反省を熱心に繰り返す者、麻雀とは無関係な話をしてリラックスする者……。水口は、麻雀の会話をしてロジカルな思考を維持し続けるタイプの打ち手だ。僕たち運営スタッフは、選手全員にベストパフォーマンスを発揮して欲しいと願っている。だからこそ声をかけたいのだけれど、言葉が見つからない。頭をひねって口にしたのは「十分に強いのは知っているので慰めませんからね」という、我ながらいかがなものかと思う痛々しい台詞だった。そんな言葉にも、水口は笑顔を返してくれたことが印象的だった。
「正直、2回戦が終わった時には泣きそうな気持ちでした。でも休憩を挟んだことで気持ちは切り替えられました。声をかけてくれた人も、あえて声をかけなかった人も、気を遣ってくれてるなぁと感じて。やっぱり負けていても前向きに考えないといけなくて、これがタイトル戦の決勝じゃなくて良かったなって思うようにしていました。タイトル戦で負けたらおしまいだけど、今回はまだ続きがある。だから、まだまだマシだと思っていました」
どれだけの苦境にあろうと、プロとして最後まで戦い続けなければならない。仮にそれが虚勢であったとしても、自らを奮い立たせて卓に座る。そんな水口は、やはりとても「強い」人なのだと思う。半荘2回を戦って、水口は2600を1回アガったのみ。先手を取っても追い越され、ほとんどの局面で後手に回らざるを得なかった水口に、ようやくチャンスが巡って来た。3回戦東2局、をポンしてタンヤオ・赤・ドラのテンパイ。先手を取れたのは本当に久々だと思う。この手が――同じく本手の安達がを切り飛ばしたことで――望外の8000点となった。3戦目にして原点越えを果たした水口は、東4局にリーチ・タンヤオ・ツモ・赤・裏の2000-4000をアガり、さらなる加点に成功する。満貫2発を成就させたことで、トップがだいぶ現実的となった。南2局、安達の親番。水口は赤2・ドラ2のテンパイ。を引いて来た際にやと入れ替えられるようにを切り、ヤミテンに構えた。これをアガりきれば決定打となりそうだ。暫定2着の逢川は、まっすぐにソーズに寄せてオタ風のから仕掛けた。打点が見込め、比較的優秀な受け駒もそろっている。現状ラス目の冨本は、ここから切り。345の三色の可能性を残し、逢川に危険そうなソーズはケアしている。逢川はをチーしてとのシャンポン待ちとなった。冨本もソーズを切ることなくタンヤオのテンパイを入れた。さすがにカンでは分が悪いが――リャンメンになれば話は別だ!ここが勝負所とを横に曲げたが――これが水口に直撃。ダメ押しの一撃を決め、切望していたトップを奪取することに成功した。このトップによって、水口は辛うじて崖っぷちに留まった。しかし、その足元は今にも崩れそうなほどに危うい。
「あと1回、デカめのトップを獲る。それで今日はプラスで終われると前向きに考えていました」
そう、やはりもう一度トップを獲りたい。それでようやく最終節の3位争いのスタートラインに立てるといった状況なのである。次の半荘の結果が、彼女のプリンセスリーグの命運を左右するのは間違いない。そして、その対局は想像を絶するほど苛烈なものとなった。東1局、一時はプラスポイントまで行きながら手痛いラスを喫した冨本も、ここで巻き返しを図りたいところ。イーペーコーのカン待ちを慎重にヤミテンとし――カンに待ち変え。タンヤオとドラで一気に2ハンアップだ。このに水口が声をかける。ホンイツはもちろん、役牌がもう1枚重なれば役々・トイトイをつけて跳満になり得る。を鳴いているとはいえを持ってくればのリャンカン形ができるため、は残す。すでに守備力は申し分ないため、2枚切れのを切る。を鳴いて1シャンテンに。役牌重なりよりも、ドラを使っての満貫の方が手早いため、ここでもションパイのを切ってを残す。3段目に差し掛かったところで、が重なり選択が迫られる。打牌候補はかか。
「他家にはの方が危なそうですが、の方が重なりやすそうと見てを切りました」ドラやのまたぎに当たる可能性があるため、で誰かに放銃した際のダメージは大きいことが多い。だが、ここでは自己都合で前へ出る。後述するが、ここが明暗を分ける大きな一打だった。同巡、逢川は絶好の引きでタンピン赤ドラのヤミテンを入れた。すでに300ポイント近いリードを得ている逢川だが、当然攻め手を緩めはしない。卓に座っている限り何が起こってもおかしくないことを、現女流雀王はよく理解している。そして、この手が――高め三色となり――赤牌も2枚となった。わずか2巡でツモなら倍満という驚愕の手へと変貌を遂げた。そして水口はをアンコにし、ようやくテンパイを入れた。テンパイ打牌は。もし彼女がのトイツ落としを選択していたならば、逢川に痛恨の放銃を許していたことだろう。さらに親番の安達が、ここに来てドラ3のテンパイを入れた。プリンセスリーグはアガリ連荘であるし、何よりこのチャンス手はものにしたい。打牌候補は、、の3種類であるが――自身のアガリを見るならば切りとなるだろう。残り1枚のは、いかにも山に眠っていそうな河だ。が、結果は逢川への高め放銃。安達としては自分でドラを3枚抱えている中で、ヤミテンの跳満に刺さるだなんて思いもしないだろう。いきなり大きく点棒が移動した東2局、冨本はをアンコにして赤が1枚。ホンイツを強く意識してから切る。このを逢川がリャンメンチー。がアンコの1シャンテンだ。大きなリードを得た逢川としては、とにかく局消化に努めれば問題ない。一方、水口はこの1シャンテン。逢川をまくってトップをもぎ取るためには、この親番でアガリをものにしたいところだ。先制テンパイは冨本だった。・赤1のペン待ちをヤミテンとし、切り。このをチーして逢川に待ちのテンパイが入った。この仕掛けが入った後――冨本がツモ切りリーチをかけた。冨本目線、ソーズの場況はかなり良いが、逢川の手牌を短くして直撃を狙う算段もあったのかもしれない。同巡、水口は1シャンテンから――冨本に片スジ、逢川に中スジのを切る。続けて持ってきたのは――両者に当たる不要牌のだった――。を通した今、このを切っても何らおかしくない局面だ。
そういえば、冒頭に記載した水口のキャッチフレーズ「絶対零度のカテナチオ」の由来を説明していなかった。「カテナチオ」とはイタリア語で「閂(かんぬき)」を意味する。イタリアサッカーを代表する守備に重きを置いた戦術だ。そう――水口は、このを止められるからカテナチオを名乗るのである。
「ソーズは2人に対して危なくて、とくに逢川さんはかだろうと思っていました」
逢川はとを晒しており、残りのターツにソーズが含まれている可能性は非常に高い。断言はできないがのターツが残っていながら迷わずのリャンメンチーをしていることから、食いタンでないようにも思える。またとを切っており、冨本のに声をかけていない。残るリャンメンターツは、、の3種類。食いタンでないならば待ちもあり得るが、を早々にツモ切っていることから待ちの可能性はだいぶ薄まる。リャンメンチーを2つしていることから、愚形待ちとも考えにくい。よって、逢川の待ちの本線はかというわけだ。さらにを引き、1シャンテンへと復活。そして――ここでまたしても選択が訪れた。が全見えということで、の亜リャンメンは強そうだ。だが、そこを残すとやといった危険牌を勝負しなければならない。逢川にが通った今、いよいよが本線に見える。故に――と落としていく選択をした。を雀頭にし、危険牌を切らずにテンパイを目指す。
ところで先ほどは触れなかったが、カテナチオという戦術はどのように加点するのかご存じだろうか? お察しの通り――堅守からのカウンターである! 当たり牌のを使い切って赤ドラのリーチをかけ――一発で冨本を討ち取った。思わず背筋が凍るような絶対零度のアガリ。この12000で逢川を1000点まくると――次局には・ホンイツの3メンチャンで追撃をかける。先ほどは手痛い失点を喫した冨本も、負けていられないとばかりに赤ドラの3メンチャンリーチをかけた。壮絶なめくり合いは――水口が制した。7700は8000のアガリでさらにリードを広げ――ダメ押しの4200オール! 1、2回戦の不調が嘘のように、リーチ・ダブの手をあっさりとツモってみせた。このアガリで水口は58100点持ち。まだ東場ではあるが、トップが濃厚と言っても過言ではないほどのリードだ。だが――ここで立ちはだかったのは、やはり絶好調の逢川だった。タンヤオ・ドラ6、驚愕の3400-6400を成就させて一気に水口との点差を詰めた。さらに東4局、逢川は親番でとのシャンポン待ちという思い切りの良いリーチをかける。ここから浮き牌を持ってリャンメン変化を待つ打ち手もいるかもしれないが、全員が早々にマンズの上目を切っていることからの感触が良すぎる。微妙な手変わりに時間をかけるくらいなら、この待ちの方がアガれる公算が高いようにも思える。水口としては、ドラ2のこの手で逢川からの直撃を狙うチャンスだ。ここから――
打とした。宣言牌のスジではあるが、すでにが3枚見えているためカンチャンには当たりにくい。は自身から3枚見えているため、シャンポン待ちに当たることもない。をトイツで落としているうちに、ドラがアンコに。続けてがトイツとなり、、と切っていく。またしてもカウンターが炸裂するのだろうか?だが、ここで逢川の当たり牌であるを引いてしまう。は無スジで、降りるにしても頼みの綱はスジ牌のくらいのもの。悩んだ後、水口は――のワンチャンスを頼りにを切った。もリャンメンに当たらないだけで、他の形は否定できない。それならば1シャンテンをキープした方が良いという判断だろう。ここでは逢川に軍配が上がった。3900のアガリで、逢川に一時的にリードを許してしまう。トップを奪取するために、水口としてはもう一つ大きなアガリを決めたい状況となった。南2局、親番を迎えた水口はオタ風のからポンして前へ出る。かを重ねれば5ブロックが完成し、ホンイツ・トイトイの満貫以上に仕上げられそうだ。ピンズのターツも払い――をポンして1シャンテンとなり――もポン。そして単騎から――単騎を選んだ。なんとかアガリに結びつけたいところだが――ライバルの逢川にまたしても凶悪な手が入っていた。リーチ・赤2・ドラ2のカン待ち。どちらの手も直取りしようものなら決定打となりかねない。勝負の結末は――後がない冨本が放ったを水口が捉え、12000点の加点。再びトップ目に立った水口だが、まだセーフティーリードと呼べる点差ではない。そして、やはり――逢川の猛追が続いた。南3局2本場、冨本から3900は4500をアガり、水口に3000点差まで詰め寄った。
「この半荘でトップを獲れなかったら、本当に泣くんじゃないかくらいに思ってました。そのくらいトップが欲しかったです」
トップから2着に転落しようものなら、30ポイントもの順位点を失う。今の水口にとって、それは死活問題だ。かくして訪れたオーラス――逢川は1メンツが完成した配牌だ。ソーズのイッツーが見えるため、得意の仕掛けも効くかもしれない。一方――水口の配牌は2メンツが完成。タンヤオ仕掛けもできるため、水口が一歩リードといったところか。だが互いに仕掛けが入ることはなく――水口はこの1シャンテンとなった。
最も受け入れが広いのは打だ。の7種23牌でテンパイが入り、いずれも好形待ちとなる。
「とても大事なオーラスだったから、ここは絶対に間違えられない。これで何を切るかで、トップか2着かが決まるくらいに思っていました」
そう、ここでの間違えは絶対に許されない。だからこそ、水口は――を切った。
切りの受け入れはの7種21枚。切りよりも2枚劣るが、その2枚を補って余りあるのがとをチーしてタンヤオ移行できる点にある。アガれば良いこの局面で、仕掛けが効くことのメリットは言うまでもないだろう。さらに自身からとが3枚ずつ見えており、いかにもが山に眠っていそうな場況ということも大きい。
どれだけの苦境に立たされても、水口は最良の選択を続けた。そのご褒美と考えるのは、さすがにセンチメンタルが過ぎるだろうか?切りと切り、どちらを選んでいたとしてもたどり着いた引きのテンパイ!
「これじゃあリーチしなきゃダメじゃんとは思いましたけどね(笑)」水口の乾坤一擲のリーチが放たれた。リーチ・ドラの待ちだ。このリーチを受けた逢川は――アンコのを切り飛ばしていった。正直、この時点で逢川は準決勝の当確ラインにいる。もちろんこの半荘のトップは欲しいけれど、無理に押して素点を損するのも得策ではないとの判断だろう。そんな局面で――安達がピンフ・赤2のリーチをかけた。すでに着アップも着ダウンも望めない点棒状況だ。これまで波乱の展開に巻き込まれて持ち味を発揮する局面の少なかった安達だが、ここでは水口の着ダウンと自身の素点回復を目指し、出アガリ満貫、ツモれば跳満確定のリーチをかけた。
自身は現状▲90.7ポイント。水口がトップで終わると▲77.3ポイント+この局の収支となり、水口に順位を上回られることとなる。だが水口が2着に終われば順位点を30ポイント失うわけで、安達の方が順位が上のまま第2節を終えられる。ちなみに跳満ツモでも、安達の方がトータル順位は上だ。なかなかチャンスに巡り合えなかった安達だが、土壇場に来て最終節を見越した手を作ってきた。そんな最終局面――降りていたはずの逢川が、気付けば1シャンテンへと復活していた。安達の宣言牌であるを切り、水口の当たり牌であるも出ていくことのない形だ。そしてカンを引いてテンパイ。着落ちのリスクがほぼないため、無スジだろうとを切り飛ばす。そして――安達がをつかんだ。
「「ロン」」
2つの発声が、同時に対局室に響いた。頭ハネをしたのは――水口だった。序盤に圧倒的なリードを築いていながら、まさかここまで苦しい戦いになろうとは誰も想像だにしなかっただろう。水口は連続ラスを喫しながら、1日を終えれば第1節よりポイントを伸ばすことに成功した。いつ心が折れたっておかしくない窮地に立たされながら、ここまで劇的な復活劇を果たせることなど、そうあるものではない。麻雀はメンタルゲームだと言われがちだが、そういう意味では水口の強さは一級品だ。
現在のブロック順位は第5位。最終節は、まだまだ予断を許さない状況だ。だが仮に水口がどれほどの危機に晒されたとしても、僕たちが心配する余地はないように思う。今の彼女からは、背筋が凍るようなカウンターを携えて、どんな苦難をも乗り越える姿しか想像ができない。