ネット麻雀の勉強会的なものに参加するようになって間もなくの話。当時の参加者は「麻雀格闘倶楽部」のユーザーが多かったので、土曜日の夜に勉強会を開き、日曜日に麻雀格闘倶楽部の筐体で合わせ打ち(同じ時間に参加人数の少ないモードでプレイすることで同卓を狙うこと)するのが習慣になっていました。
前日の勉強会で、経緯はよく覚えていませんが、「地獄待ちはあまり好きじゃない」と話していた私。東場から役牌をポンしてドラの地獄単騎、赤が他に1枚あって満貫のテンパイ。いくら好きじゃないと言っても、ドラを切ってまで2000点の手にすることもないとみてドラ単騎に受けたところすぐにツモアガリ。同卓者に何か申し訳ないと思いつつトップ目で親番を迎えます。
親番でホンイツを狙おうとしていたら、鳴ける牌が一向に出ず、気付けば私の大好きなメンホンチートイツテンパイ。選択は残り2枚の単騎か、残り1枚の単騎。いくら地獄待ちが好きでないと言っても、ソーズを1枚も切っていない単騎よりは地獄の単騎がアガリやすいとみて単騎リーチ。間もなくラス目の方からが出て18000。飛ばしてトップ終了となりました。
前日にあんなことを口走ってこの展開。当然のごとく私は参加者から冗談混じりで、「三味線乙」と煽られたものです。気の知れた相手だからよかったのですが、好きなものの話ならともかく、嫌いなものの話を安易にするものではないなと思わされたことです。
ところで、何故「地獄」待ちと言うのでしょう。一説によると、元々は残り1枚の単騎の時だけ地獄待ちと言っていたようです。西と言えば西方極楽浄土なので、単騎でアガることを「極楽送り」と呼んでいたとか。それが残り1枚のともなれば、そんなえげつないところで待つとか、「極楽じゃなくて地獄だ」と言った人が居たことから地獄待ちと呼び、転じて残り1枚の待ちを地獄待ちと呼ぶようになったそうです。
振り込んだ人が地獄に落とされるような気分だから地獄待ちというのは予想がつきますが、まさか「西方浄土」つながりとは。真相は定かでありませんが職業柄ちょっと驚きました。
地獄待ちに限らず、不調が長続きすると地獄モードというように、私達は麻雀を打ちながら地獄を感じる生き物です。でも例え地獄に落ちようとも、いつでも仏様の救いの手の方が先に届いておりますから大丈夫であります。私達は安心して麻雀を打つことができるのです…と、それっぽく〆てみました(笑)