「求愛の失敗学」
御成婚おめでとうございます。天鳳位に登り詰めた頃の、「モテないアピール」が最近見られなくなっていたので、「ひょっとしたら」と内心思っておりました。私の身の回りでも最近は結婚報告が多くめでたい限りです。麻雀界で結婚と言うと、「結婚はラス確」という言葉が思い浮かびますが、実は麻雀ライター福地誠氏の創作ではなく、『科学する麻雀』のとつげき東北氏が本人のホームページ内での発言が元ネタだったりします。
結婚がラス確だとするなら、メンツも役も足りておらず事実上のアガリ放棄になっているのが私ですが、異性に興味が無いわけでも、不邪淫戒を守っているわけでもありません。むしろ、酒、麻雀と続いて幼い頃から興味津々だったくらい。どうしてこうなってしまったかについては、気が向いた時にでもお話するかもしれません。今のところ、「成人しても結局お酒を飲まなかった」理由と大方同じとだけ記しておきます。
以前、「麻雀に正解はあるか?」というテーマを取り上げましたが、「麻雀に正解があると主張する人は、恋愛にも正解があると思っているのだろうか」という意見を目にしました。
私は「麻雀には正解があるが、恋愛にはない。」という立場を取ります。何故なら、麻雀は勝者が決まれば他の人は敗者になる「零和」ゲームですが、恋愛は誰も勝者にならないこともあるためです。
夫婦生活がうまくいくためには、「麻雀のような零和ゲームではない」ことをお互いが自覚することでありましょう。「人生の成功者」「勝ち組」と讃えられるような有名人の不倫、離婚がよく取り沙汰されるのは、単に話題性があるからというだけでなく、人生における零和ゲームに明け暮れてきた人達だから、恋愛、結婚にもその価値観を持ち込んでしまうからではないかと思うこともあります。今回のエピソードを紙面に掲載するくらいですから、私が心配することは何もなさそうですが、改めてお祝い申し上げます。「死が二人を分つまで」と言いますが、仏様の世界は「倶会一処」。死が二人を分つとしても、また再び巡り会える世界であります。