麻雀ライターの福地氏は著書の中で、「麻雀はルールが変わると別ゲー。」という主張を度々されています。私はどちらかと言えば、「ルールの違いはそれほど重要ではない。」という立場を取っているので、『勝つための現代麻雀技術論』執筆時には意見が対立することがよくありました。
私の主張は「何を切るべきかを判断する際は、手牌や局面の違いを持ち出せば十分で、ルールの違いに言及する必要性は小さい。」と言うものです。実際にゲームをプレイして別物と感じるかどうかはここでは問題にしません。
ルールの違いの中で特に代表的なものとして、今回は赤有り(各色の5の牌に赤ドラが1枚ずつ入っている)と赤無しルールを考えます。確かに赤有りルールは高打点の手が出やすく、自分の手牌に赤ドラが複数あれば、それ以上高打点にすることはあまり考えず、なるべく早いアガリを目指そうとするものです。
しかし、手牌に赤ドラがあるとなれば、そもそも赤無しの場合とは手牌が違います。「手牌の違い」で打ち方が変わるので、ルールの違いに言及する必要はありません。
同じ手牌でも赤有りか赤無しかで切る牌が変わる例として、福地氏は『ネット麻雀・ロジカル戦術入門』(テーマ14、p80)の中で、 ドラ という牌姿を取り上げています。赤有りなら西単騎でリーチ。赤無しなら打西ダマで三色か一通の手変わりを見るというものです。
私は小倉孝プロと同様に、他に条件が無ければ赤有り、赤無しにかかわらず単騎リーチとします。アガれなかった時の失点が赤有りの方が高くなるのは確かですが、そのことだけをもって判断を変えるにまでは至らないとみます。
これがもし、ラス前のラス目で、順位を上げるためには満貫ツモが必要となれば、今度は赤有りであっても打ダマとして手変わりを待つことが多いでしょう。点数状況からアガリ率を下げてでも打点を上げるメリットが特に大きくなるためです。高打点の手になりにくい赤無しルールほど、意識的に高打点の手を狙う必要がある局面が増えるというのも事実でしょう。しかし、それはあくまで「局面の違い」で打ち方が変わるのであり、ルールの違いに言及する必要性はやはりありません。
「ルールの違いで打ち方が変わる」という主張には、「ルールの違いの影響で局面が変わり、その局面の違いから打ち方が変わる」というニュアンスが含まれる場合も多々あります。それ自体はもっともなことですが、それはあくまで「局面の違い」と捉えるべきであるというのが私の主張です。「手牌も局面も同じ」という前提であれば、ルールよって切る牌が変わるということは、やはりそれほど多くないのではないでしょうか。
もし、「別ゲーか」ではなく、「別ゲーとあなたは感じますか」という問いであれば、私も否定するつもりはありません。むしろ、体感として別ゲーと感じるからこそ、ルールが違っても変わらない要素、個別の手牌や局面に着目することを意識していないと、必要以上に打ち方を変えようとしてかえって損することも増えてしまうと考えます。ルールの違いは誰でも意識することだからこそ、勝つためにはより結果に影響しやすい違いこそ意識すべき。私が、「ルールの違いはさほど重要でない」と主張するのはまさにこの為であります。