「二人」「零和」「有限」「確定」「完全情報」の5つの要素のうち、今回は「有限」について。「有限」とは、ゲームが必ず有限の手番で終了すること。無限に手番を続けることが出来ると、勝ちでも負けでもない、かといって引き分けでもない、「勝敗をつけることができない」局面が出来てしまうため、必勝法が存在するために「有限」であることが必要になります。
必勝法が無いゲームであっても勝敗をつける必要があるので、「有限」であることはゲームを成立させるうえでも必要と言えます。しかし、実は厳密な意味では有限でないゲームも少なくありません。世界的にも特に競技人口が多い、囲碁、チェス、将棋、実は全部厳密な意味では(いずれも対戦者が勝ちを目指す前提なら起こり得ない、あるいは起こるとしても極めて低確率でしか起こり得ない局面なので事実上問題にならないというだけで)有限ゲームではありません。
将棋にはこの他に、入玉宣言に関する、「金底の歩問題」が存在します。
無限に手番を稼ぐことが現実的に可能であったためにルール改正されたものと言えば、将棋の千日手。現在では、「同一局面が一局中に四回現れる」が千日手の定義でしたが、以前は「同一局面に戻る同一手順が連続三回現れる」が定義であったために、同一局面に戻る手順が複数あれば無限に手を続けることができました。
麻雀も一昔前は、「流局時ノーテンでも親が流れない」というルールが採用されることが少なくありませんでした。そのうえで「トビ終了無し」にすると、子が意図的にアガらないと親が流れないので無限にゲームが続くことになります。このルール問題を題材にした麻雀小説と言えば、阿佐田哲也氏の「東一局五十二本場」。私も麻雀ソフトで「毎回役満手が入る」キャラ相手に「ノーテン親流れ無し」ルールで対戦し、持ち点を−100万点以上にして点数表示をバグらせて遊んだことがあります(笑)
「テンパイ連荘」であっても、全員が意図的にテンパイだけとってアガリを目指さなければ、(全員が協力しても親がテンパイしない確率は極めて低いため)事実上無限にゲームを続けることができます。個人的には厳密な意味で「有限」ゲームにする必要性があるとは思いませんが、競技として扱ううえでは「アガリ連荘」か「そもそも連荘無し」が望ましいと考えることができなくもないですね。