・正解があると言っても、何が正解なのか分かっているという意味ではない
麻雀に正解はあるかというテーマは、webサイト版「現代麻雀技術論」でも書かせていただきました。今から実に10年以上も前の話になります。
正解があるかという話に関連して将棋AIの記事を引用いたしました。2008年時点でアマチュアトップに勝利し、10年以内にトッププロに追いつくとされていましたが、結果は皆様御存知の通り、2017年には名人に勝利し、今や「完全情報ゲーム」では、AIがトッププロを上回るようになりました。今後は麻雀のような「不完全情報ゲーム」でも、トッププロを上回るAIが開発されることが期待されます。
しかし、将棋でAIが名人を上回る日が来ましたが、全ての局面における正解、将棋の「結論」が出るかとなると、やはりまだまだ先のことのようです。とはいえ近年のAIの進化に伴い研究も急速に進むようになり、以前はよく指されていた戦法がほぼ見かけなくなるといった変化も起こるようになりました。今でも私が生きているうちに結論が出ることはないと予想していますが、案外早い段階でその日が来るのではないかとも思うようになりました。
とはいえ、現段階では誰も全ての正解を知らないどころか、今後正解を出せると保証することもできません。麻雀のような不完全情報ゲームであれば、不完全な情報をいかに評価するのかという問題点があるので、「結論」を出すことはなおのこと難しいでしょう。
現状結論が出せるはずもない問題に対して、正解が出せることを前提に話が進めば不毛な言い争いになりかねません。どのような意味で、「麻雀に正解はある」と言えるのかをコミュニティの構成員全員が共有していれば問題ないのですが、麻雀を打ってきた環境も、麻雀に対する価値観も様々である以上それも難しいものです。「麻雀に正解はない」と発言する人の中には、コミュニティ内の和を保つための発言であり、本人の意図するところはまた別のところにあるという方もいらっしゃるかもしれません。
しかし程度の差こそあれ、勝ちたいと思って麻雀を打つのですから、対局中は誰しも、この局面における正解は何かを考えて打っているはずです。不毛な争いが問題なのであり、価値観を表明し押し付け合うことが問題なのではありません。立場上そう言わざるを得ない人がいるのは仕方ないことなのかもしれませんが、「麻雀に正解はない」と聞くと、それでは何故このゲームをやっているのだろうと、少し寂しい気持ちにさせられます。