前回の内容を踏まえたうえで、一つ何切る問題を考えてみます。
東2局北家6巡目
ツモ ドラ(赤無しルール)
記事の筆者も問題に回答しているプロも、麻雀観こそ大きく違いますが、将来危険になりやすいドラそばのをここまで残していたことに着目しています。そのうえで、筆者はここで迷うくらいなら三色を狙わない打、プロはをツモったことによりピンズに勢いを感じるので打(マンズを切らない理由は説明無し)としています。
前回申しましたように、ここでピンズをツモったから次巡以降もピンズをツモりやすいだろうと考えるのは、「結果から抽選の変化を予測することはできない」という法則に反するオカルトに過ぎません。しかし、「さほど必要そうでないをあえて残しているということは、ピンズが他家に使われにくくツモりやすい場と判断したからであり、実際にをツモってきたことからもその判断は正しい可能性が高い。」と考えるのであれば、選択や結果から予測しているものは抽選の変化ではなく「場況」なので、あながちオカルトというわけでもありません。
ツモった牌から山に残っている牌を推測することはできませんが、残した牌から場況を推測することは可能で、そこから山に残っている牌を推測することならできなくもありません。確定している情報から不確定情報を推測するのも「認知」の一種であり、それができる人ほど実力者でありましょう。
ただしその過程を飛ばして、いきなりツモりやすい牌に言及するとなるとオカルトになりかねません。回答者のプロも、ピンズを残す理由については案外同じように考えたいたのかもしれません。しかし、雑誌で回答するとなると字数制限があるうえに、そもそもオカルトを否定する見解自体がまだまだ浸透していなかった頃の話であることに留意する必要があるでしょう。
「偶数牌より奇数牌が重なって手が進んでいくほうが、和了する力が強まる」に関しては全くのオカルトとしか言い様がないですが、どちらから切っても大差ないターツ選択になることは日常茶飯事。それなら「どちらから切ってもよい」「手に近い方から切る」で済ませるよりは、いかにもオカルトな発言をする方が、オカルト派を自称するプロとして活動するうえで何かと都合がよかったというのもあるかもしれません。
昨今ではそもそも、「何切る問題にツモ牌が書かれている理由自体が分からない」と思われる方がいるかもしれません。私もツモ牌を明記する意味合いは薄いと考えていますが、こういった背景もあるということは御理解いただければ幸いです。
長くなりましたので、結局何を切ればよいかについては次回に回します。