ドラに関する話が続きますが、今回は赤ドラ、言い替えれば常時ドラになる牌について。
赤5筒が1964年の東京五輪を機に製造されることになったというのは御存知の方も多いと思いますが、以前は1970年の大阪万博説が有力視されていました。大阪万博のシンボルマークが桜の花で5筒に良く似ているということ。実際に赤5筒入りの麻雀牌を製造したのが大阪のミズノ丸一という会社であったことがその理由でしょうか。
これだけだと東京五輪から赤入りルールが遊ばれるようになったように思われますが、赤ドラ自体は東京五輪より昔からあり、その頃は色々な数字がドラになっていたのが、東京五輪を機に5を赤ドラとするのが定着したという話も聞いたことがあります。これについては明確な根拠があるわけではありませんが、九州の雀荘では3を赤牌にするところが多く、古くからある雀荘ほどその傾向が強いので、個人的には赤ドラ自体は東京五輪以前からあったとみるのが有力と考えています。
赤ドラというと現代麻雀のインフレの象徴というイメージがありますが、東京五輪の時点で既に50年以上前の話。そんなに昔から赤ドラがあるのかと驚かれた人も少なくないのではないでしょうか。
おそらくこのギャップは、雀荘以外で赤有りが一般化したのは今世紀に入ってからであるためと思われます。私自身、初めて赤有りルールで麻雀を打ったのが「麻雀格闘倶楽部」デビユーした2003年の話。それまでは主にゲームソフトで麻雀を打っていましたが、オプションとして赤有りでも遊べるものがいくつかあるというだけで基本は赤無しでした。
ネット麻雀全体を見ても、1996年に生まれた東風荘は赤無し、ハンゲームは最初から赤有りが主流でしたが、サービス開始が2000年で、初期は麻雀がそもそもありませんでした。このことを踏まえると、牌を積まない麻雀ゲームにおいては、赤有りが主流になったのは21世紀に入ってからであると言えそうです。
雀荘でも麻雀ゲームでもない、いわば仲間内で卓を囲む手積みの麻雀については何とも言えないところではありますが、麻雀の入門書には赤ドラについて言及が無いものがほとんど。5が赤ドラの主流になってから以降は、ほとんどの麻雀牌に赤5が含まれているとはいえ、普段雀荘で打つメンツが卓内にいないのであれば赤無しで打たれることが多かったのではないでしょうか。