第113回の続きになりますが、赤有りルールが急速に普及した理由には麻雀格闘倶楽部(2002年稼働開始)が大ヒットした影響が大きいと考えています。私の知る限り、麻雀ゲームで赤有りがデフォルトなのは麻雀格闘倶楽部が初めてで、その後もオンライン対戦の有無を問わず、様々な麻雀ゲームが生まれましたが、ヒットしたものはいずれも赤有りが基本でした。
麻雀格闘倶楽部は日本プロ麻雀連盟、セガNET麻雀MJは日本プロ麻雀協会、ハンゲームは麻将連合というように、ヒットしたオンライン麻雀の多くは各プロ団体との提携があったというのも見逃せない要素です。赤有りルールが普及する契機になったというだけでなく、プロ雀士の知名度もかなり上がったのではないでしょうか。私自身、高校時代は『将棋世界』を購読していたので、将棋の棋士は全員名前を覚えていて、有名な棋士に関してはその棋士にまつわるエピソードも一通り知っていましたが、プロ雀士に関しては有名な人を何となく知っている程度で、そもそも知る機会自体がなかなかありませんでした。
そうした経緯もあったので、いずれプロの公式戦でも赤有りルールが採用されるかもしれないと思っていましたが、インフレルールの象徴である赤ドラを競技麻雀が用いられるとなると、是非はともかく違和感が大きいものです。昨年Mリーグが発足し、ついに赤有りルールがプロの公式戦として採用されることになりましたが、麻雀格闘倶楽部に連盟プロが参戦してから15年。それまでに起こった麻雀界の変化を、大きいと見るか小さいと見るかは人それぞれですが、月日が経つのは本当に早いものです。
余談になりますが、赤5筒が広まるきっかけとなった東京五輪が1964年、東京五輪説が確定するまで有力だった大阪万博が1970年に開催されましたが、その50年後、2020年に二度目の東京五輪、2025年に二度目の大阪万博が控えております。全くの偶然とはいえ、麻雀界もこれからまた大きな変革が起こる、そんな気がしなくもないですね。