1988年。私が幼稚園に入園した頃、我が家にはファミコンが無く、代わりにMSX(1983年に発売されたパソコン)がありました。MSXは安価でコンピューターの学習につなげられる入門機として設計された経緯があり、BASICを学べば誰でもプログラムを組んでゲームを製作できるという特徴がありました。
そのため、80年代には読者がプログラムを投稿し、採用されたゲームが収録されたフロッピーディスク付きの雑誌が数多く出版されていました。PCのスペックと個人製作のゲームであることを踏まえると、クオリティとしてはファミコンのソフトに及びませんが、ファミコンのソフトが1本4500円程度なのに対して、当時月刊で出版されていたゲーム雑誌は980円。それにゲームが10本以上ついてくるのですからとてつもなく安価。子供に買い与えるにも丁度よかったというわけです。
将棋や麻雀人口がピークを迎えたのは、家庭用ゲーム機が発売される前の話。家庭用ゲーム機が普及するにつれ遊びが多様化し、競技人口を大きく減らす要因となりました。私の家庭にファミコンがあり、印象に強く残るような名作をプレイしていたら、麻雀の道に進むことはなかったかもしれません。
その雑誌に収録されていたゲームでよく遊んだものと言えば、やはり麻雀が関わってくるもの。例えば1〜9の数牌と白の牌を採用したドンジャラ。3千〜9千、1萬〜4萬と描かれている牌を用いた大富豪的なゲーム。そのまま麻雀牌を使用した神経衰弱(同じ牌を3つか、東南西北、白発中と揃えると牌を獲得、赤5筒がめくれると牌がシャッフルされる。)。ゲームの説明の中に「麻雀」という単語を度々見かけたことから、麻雀というゲームの存在を知ることができました。
私がそういったゲームにハマったのは、数字や文字の組み合わせが好きだったというのもありますが、何となく選択を繰り返していくだけでもゲームが進行するので幼稚園生でも遊びやすかったというのが大きかったです。機敏な操作が要求されるアクションやシューティングはすぐにゲームオーバーになり、謎解きが要求されるRPGはすぐに詰まってしまう。「ゲームは1日1時間」という言葉もあったように、必然的にすぐ遊べてすぐ結果が出るゲームをよく遊ぶようになっていました。
運次第で勝ったり負けたりが続くので長く遊ぶことができるというのも重要です。雑誌に収録されたゲーム以外に何本かゲームソフトがあり(おそらく、将棋を教わった従兄が住んでいた頃に購入されたもの)、その中には将棋もあったのですが、当時のソフトなのでそれこそ弱い。最初のうちは負けることもありましたが、▲76歩△34歩▲22角成△同銀と進むと、ソフトは次の指し手にかかわらず△62銀と指すので、▲55角と角を打つと銀をただで取ることができたため楽勝で勝つことができました。しかし、有段者の従兄で将棋を指せば、それこそ玉と歩だけでも負けてしまいます。実力が拮抗している相手が居なければ、運要素の無いゲームを楽しむのは難しいものです。
そのようなわけで、私はゲームの説明書の中に出てくる「麻雀」というゲームに強く興味を持つようになっていました。一体どんな面白いゲームなのだろうと、子供心に想像を膨らませていたのです。