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第266回 ネマタの麻雀徒然草

第266回 ネマタの麻雀徒然草

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ネマタの麻雀徒然草とは
  • 『ネマタの麻雀徒然草』は、麻雀戦術サイト「現代麻雀技術論」の著者・ネマタさんによる「麻雀に関する話題を徒然なるままに書き連ねていく」コラムです。
  • 第1回はコチラ

前回、現在の日本麻雀の「河底撈魚」が、一部の中国古典麻雀では「人和」と呼ばれていた話が出て来ました。この話が日本に入った頃には、子の第一ツモアガリに「人和」という名称をつけ採用した後だったので、名称が変更されることはありませんでした。

…子の第一ツモアガリが「人和」。誤植ではありません。当時の「人和」は、現在の「地和」だったのです。(私が知らなかっただけですが、)またしても衝撃の事実が判明しました。

では、「地和」は当時どんな役だったのかと言えば、「親の第一打で子がロンアガリ」。現在の「人和(第一ツモの前に子がロンアガリ」の条件を厳しくしたものです。当時は、親の第一打牌を「地牌」と呼んでいたので、その牌のロンアガリだから「地和」と呼んでいました。現在では役に合わせて、「子の第一ツモ」を「地牌」と呼ぶように定義が変わりました。(ちなみに親の第一ツモは「天牌」。よって親の第一ツモアガリが天和。麻雀漫画「天牌」のタイトルの由来でもあります。)

当時は地和が人和で、人和が地和。何ともややこしい話です。それではどのようにして今の定義に変わっていったのか。これも正確な話は分かりませんが、昭和初期には、親の第一ツモアガリを天和。親の第一打でロンアガリを地和とし、それに対応して、子の第一ツモアガリ(現在の地和)と、子の第一打でロンアガリを合わせて、人和と呼ぶようになったようです。ここでの「子の第一打でロンアガリ」とは、第一ツモの後で一巡以内にロンアガリした場合も含まれるので、現在の人和よりも条件が緩やかです。

しかし、地和と人和についてはその後定義がなかなかまとまらず、「1巡以内のロンアガリは地和、ツモアガリは人和」となることも、その逆になることも、あるいは両者を合わせて地和とすることも、人和とすることもあったようです。

地和については戦後になって、「子の第一ツモでのツモアガリ」で定義が固まりましたが、これによって人和は「第一打のロンアガリ」を指すようになりましたが、こちらは正式に採用されなかった為に、「親の第1打でロン和了」「第1巡以内のロン和了」「自分の第1ツモまでのロンアガリ」と定義が分かれました。現在では、「チー・ポン・カンの無い自分の第1ツモ以前のロン和了」でほぼ定義が固まりましたが、役の翻数や、他の役との複合を認めるかについてはルールによって様々であることは第198回で取り上げた通りです。

地和の定義が確立したのは、1952年の「報知ルール」の影響だと思っていたのですが、上記のwikiを見るに、報知ルールどころか、1979年(昭和53年)の新報知ルール制定以降に出版された入門書に「子の第一ツモアガリ(現在の地和)と、子の第一打でロンアガリを合わせて人和」と、昭和初期当時の定義が書かれています。

しかし、1983年に登場したファミコンの「麻雀」から、これまでの麻雀ゲームにおいて地和の定義が変化した試しがないので、おそらくは新報知ルール制定によって地和の定義が確立。人和は採用されませんでしたが、「チー・ポン・カンの無い自分の第1ツモ以前のロン和了」と解説されていたので、役の定義は確立するも、翻数については確立しなかったというのが実際のところではないでしょうか。

この記事のライター

ネマタ
浄土真宗本願寺派の僧侶。麻雀戦術サイト「現代麻雀技術論」の著者。
同サイトは日本麻雀ブログ大賞2009で1位に。
1984年佐賀県生まれ。
東京大学文学部中退。

著書:「勝つための現代麻雀技術論」「もっと勝つための現代麻雀技術論 実戦編

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