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変化の種 ーーー「東大を出たけれど」須田良規

変化の種 ーーー「東大を出たけれど」須田良規

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「東大を出たけれど」とは
  • 近代麻雀で連載されていた、須田良規プロ(日本プロ麻雀協会)の著作全108話。麻雀ウォッチにて8話分掲載。
  • 作品の発表経緯はインタビューをご覧下さい。

 一緒に勤めていたメンバーの一人が、店を辞めた。
 彼には同棲している連れ合いがおり、彼自身今の境遇から足を洗うことを、常々考えていたのだと思う。「自分ひとりの人生ではないので」と、潔く勤め人に転身した。
 彼は麻雀も巧く、接客も極めて優れたメンバーだった。店には痛手であったが、それでも彼らにとっては祝うべき門出であろう。心をこめて二人の幸福を願い、またいいようのない焦燥感にも囚われた。
 
 無論、いつまでも続けるような仕事ではないということは私も分かっている。無為に時間を潰し、さした蓄えも残せぬまま、客商売のストレスを腹に堪え続ける毎日。無心に牌と戯れていればよかった若い時分の気楽さなど、とうに失せてしまった。
 かといって、今更他に職を探して地道に何かを始めようか、という気にもなれない。長年この世界に身をやつし、まっとうな人生というものに対して、随分と臆病で、怠惰になってしまった気がする。少しずつ霞んでいく後戻りの道を、完全に見失ってしまうのも、そう遠い将来ではないだろう。
 もとより、何かを成したいとか、残したいとか、そういう高尚な気概を持って生きてきたわけではなかった。ただ食べて、生きるだけの人生でも、そう卑下する必要などないとは思う。それでも、心の奥底にある人並みの生活への憧憬と、それに伴う現状への危惧感は、拭いようがない。
 変化のきっかけは何でもよかったはずだ。身辺の人間の要望もなかったわけではない。ただ自分が目を背けていただけで。
 
 オーラスの親番、私はトップ目と10000点程の差だった。
 (ポン) (ポン) ドラ

 赤での親満か、5800の直撃ならかわせるが、それは虫が良すぎるだろう。を引いてバッタに振り替えるしかないか。
 それでも混一仕掛けなのは衆目の一致なので、字牌も索子も出てくる様子は全くない。半ば諦念の思いで打牌を繰り返す。

 そこへ持ってきた牌は、である。さして考えもなくツモ切ろうとして、はたと止まった。

 (ポン) (ポン)  ツモ
 
 は残り1枚。このまま受けに固執するよりは、と逡巡の末にを放した。

 (ポン) (ポン)  ツモ

 これならば万一が出たときに叩いて打でノベタンに受けられる。また、を引けば受けに渡りを打てる。
 しかし、結局想い描いた青写真は叶わぬまま、終盤まで縺れ込む。過ぎた期待だったか、と最後のツモに手をのばすと、とりあえずの
 そのときふと気が付く。カンチャンに受けたために望外の2600オール。一発でトップを捲る和了りとなった。

 変化の種、というものは無意識に打っていれば見逃しがちである。今の境遇を自分勝手に憂いているだけでは何も変えられない。それでも足掻いて模索すれば、望んだ結果とは別でも、思いがけぬ道を見つけることもあろう。
 きっかけを見過ごしてきた末、結局辞めることにも続けることにも、確固たる意志を持てないでいる。ただただ自分の愚鈍さを悔やみ、先のない聴牌形をかろうじて保っているようなものか、と空々しくも思っていた。

全108話公開 須田良規プロのnoteはコチラ

 

プロフィール

須田良規(すだ よしき、1975年8月6日 - )島根県出身。東京大学工学部卒業。日本プロ麻雀協会(1期後期入会)A1リーグ所属。
代表作『東大を出たけれど』の原作を自身のnoteで108話公開。

この記事のライター

須田 良規
須田良規(すだ よしき、1975年8月6日 - )島根県出身。東京大学工学部卒業。
日本プロ麻雀協会(1期後期入会)Aリーグ所属。第5期雀王。

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