135のようなリャンカンをどう分類するか。ターツが複合しているので複合ターツ、3枚からなるメンツ候補とも言えますが、最近は1つの固まりとして見るよりは、あくまでターツ「1」+フォロー牌「2」のように2つの組から成るものとしてみた方がよいと考えています。
何故なら1手進んでメンツが完成した時。ツモ2なら1235となり123のメンツ「0」+5の浮き牌「2」。ツモ4なら1345となり345のメンツ「0」+1の浮き牌「2」。ターツをフォローする牌は、ターツが無くなれば浮き牌。1つの固まりとしてだけみると、浮き牌から更にターツ、メンツができて2メンツ以上になるケースを想定しにくいためです。ドラが2や4である場合、334からは早い段階で3が切られがちですが、メンツ候補が揃っていない段階では、3をフォロー牌として残すことでドラを2枚以上使えることも多いです。
フォロー牌についても明確な定義を聞きません。1手でメンツを作る受けを増やす牌というのが一般的で、私もそのように考えていましたが、実は、「1手でメンツを作る受けを増やす牌」というより、「1手で作れるメンツの種類を増やす牌」とした方が正確であると気付かされました。
例えば235(ドラ5)であれば、4ツモでドラ入りの345のメンツを作れます。236(ドラ6)の6とは明確に機能が異なる牌です。
便宜上5をドラとしましたが、345三色がある場合もありますし、ドラも役も無いとしても、何らかの理由で345のメンツを作れることがメリットになる場合もあります(6が他家の当たり牌で、当たり牌をツモってもスライドできるなど)。よってその役割にかかわらず、235とあれば5は23のフォロー牌とみなします。
特に役割がなさそうな牌でもフォロー牌と呼ぶのは違和感を覚える方も多いと思われますが、フォロー牌と言っても、2手でメンツが完成するという点では、浮き牌と同じ機能を持っています。(ここでの浮き牌の定義は、「2手でメンツが完成する牌の中で、フォロー牌で無いもの」となります。)別の名前がついているからといって完全に別物であるというわけではなく、同じグループに属しているものの中で、違う機能を持っているものに別の名前を与えているに過ぎません。
「ラーメン二郎はラーメンではなく二郎という食べ物」という表現があるように、同じグループに属していても、他とは一線を画する特徴を持つものは、あたかも同じグループに属していない、別の存在であるかのようにみなされることがあります。二郎に関しては、「ラーメンというカテゴリーに属さない」と誤解されている様子はないので、一種の文学的表現として愛好家の中で共有されています。
しかしながら人は言葉で認識し、言葉で概念を区別しているので、「違う名前がついているから同じカテゴリーに属さない」逆に、「同じ名前がついているから同じカテゴリーに属している」という誤解が起こることも少なくありません。
「2メンツ作る可能性を踏まえてフォロー牌を残すべきところでも、フォロー牌を切ってリャンメンを固定する。」「アガリに必要な唯一のアタマを、トイツ落としと同じ感覚で崩してしまう。」 これらの誤打はまさにそのような誤解が元になっているのではないでしょうか。
こういった誤認を引き起こす理由にもなるので、「麻雀を言葉で覚えない」と言われることもあります。確かに一理あるのですが、それは打ち手というよりは、どちらかと言えば発信する側の責任でもあります。麻雀戦術をいかにして言語で表すか。「現代麻雀技術論」を書き始めてから10年以上になりましたが、一生をかけて今後も取り組んでいくことになりそうです。