落語界の風雲児と呼ばれた「落語立川流」の家元である立川談志(たてかわ・だんし)師匠(享年75)が逝去された2011年、立川らく人さんは、立川志らく(たてかわ・しらく)師匠に弟子入りした。2015年に二ツ目昇進後、出身地である鳥取県の『米子ふるさと観光大使』を務めながら、2023年には日本プロ麻雀協会に入会。落語家初の麻雀プロとの二刀流に挑戦するその理由とは?
麻雀との出会いは?
麻雀との出会いは落語仲間がきっかけだったという。「2021年頃、落語家の先輩と後輩ふたりの4人で、今度麻雀やろうかという話にたまたまなったんです。後輩ふたりは麻雀ができたんですが、先輩と私はやったことがなかったので、この機に一緒に覚えましょうということになりまして。私は麻雀本を購入し、ネット麻雀で練習を重ねて、その日に備えました。そうしたら当日、先輩から覚えてこなかったので麻雀はやらないと言われまして。落語界は上下関係の世界ですから従うしかありません(笑)。なのでその時はやらなかったんですが、これはすごい面白いゲームだとすぐにハマりました。ちなみに最初に読んだ本は金太賢さん(日本プロ麻雀協会)の『3ヵ月で強者と戦えるようになる 麻雀「超コスパ」上達法』。まさにわかりやすくてコスパがいい入門本でした(笑)」
なぜ麻雀プロになろうと思われたのですか?
麻雀プロリーグ「Mリーグ」においても、俳優である萩原聖人プロ(TEAM RAIDEN / 雷電)をはじめ、モデル・タレントの岡田紗佳プロ(KADOKAWAサクラナイツ)、将棋棋士の鈴木大介プロ(BEAST Japanext)等、二刀流で活躍するプロもいる。「落語家は時間の使い方が自由です。実際、昨日は高座(こうざ)一席だったので、1日20分しか働いていないわけです。その他の時間をどう使うのかに関しては、稽古をしてもいいですし、映画を観たり小説を読んだりなどして何かしらの刺激を受けて、創作や演出の参考にしてもいい。落語家として何かしらフィードバックされるなら何でも意味があることなんですが、単に麻雀を打つだけだと楽しいだけで、落語には何も影響しないかもしれない。であればせっかく勉強して面白いと感じた麻雀を仕事にしたら、罪悪感もなく好きなだけ打てるじゃないかと考えたんです。なので早い段階で麻雀のプロテストを受けようと決めていました」
談志師匠も、参議院議員選挙に出馬して当選し、国会議員だった時期もあった。「大師匠・談志は政治家。師匠・志らくは映画監督との二刀流で、映画雑誌『キネマ旬報』にコラムを執筆し、映画と落語を融合させた“シネマ落語”を創作したりもしています。宝塚歌劇団が大好きな立川らく次(たてかわ・らくじ)兄さんは、宝塚歌劇団の番組に関わっていたり、宝塚歌劇団を語る創作落語を作ったりなど、それぞれ仕事にしています。じゃあ私も麻雀を仕事にすればいいんだと思ったわけです」
志らく師匠にはプロ入りされることをどのように伝えたのですか?
らく人さんは麻雀プロになったことをX(旧Twitter)に投稿して発表した。「麻雀プロ試験に合格するまでは、麻雀を打っていること自体、家族をはじめ誰にも言いませんでした。理由はこれまでやったこともなかった麻雀のプロになりましたと言ったら驚くだろうなといういたずら心からでした(笑)。ただ師匠・志らくにだけはXで発表する前に日本プロ麻雀協会という団体のプロテストに合格したので、入会して麻雀プロとしても活動していきたいと思いますと報告しに行きました。そうしたら師匠から『それって何の得があるの?』と聞かれました(笑)。私はてっきりおめでとうなんて言われると思ったんですが、損得に関して聞かれたので『麻雀という業界で人脈を作ったり、名前を売っていこうと思っております』と言ったら、師匠は麻雀に関してはいっさい知らないため『その団体ってまともな団体?』と聞かれました(笑)。なので『一般社団法人でございます』とお伝えしておきました。師匠は何でもやってみろというスタンスなので、麻雀プロとの二刀流に関しては理解してくれたのかなと思っています」
二刀流宣言後、周囲からの反応は?
「鳥取県在住の両親も応援してくれ、落語関係者も好意的に受けとめてくれています。おかげさまで柳亭市馬(りゅうてい・いちば)師匠からは、これまで麻雀をやっていて一番キツかったという面白いエピソードを教えてもらいました。同卓者は人間国宝にも認定された十代目柳家小三治(やなぎや・こさんじ)師匠(享年81)、落語協会の相談役でもあった六代目三遊亭圓窓(さんゆうてい・えんそう)師匠(享年81)、落語協会の最高顧問である十代目鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)師匠という名前を聞いただけでも恐い3人。その3人に囲まれている中で、市馬師匠は国士無双をテンパイしたそうなんです。『えっ?これどうしよう。リーチを打ったほうがいいのか、アガリ牌が出たらロンしてもいいものなのか。もしもロンしたら、めちゃくちゃ怒鳴られるんじゃないか!? どうしよう、どうしよう!』なんて思っている間に、誰かが軽い手であっさりアガったそうで、その瞬間『よかった~! 役満アガれなくてよかった~!!』と心底思ったそうです」
なぜ落語家になろうと思われたのですか?
「動機は働きたくなかったというのが一番大きかったかもしれません。毎日毎日同じ会社に出勤してというのは無理だろうと高校生の頃から思っていました(笑)」
「落語を知ったのは小学生の頃。二代目桂枝雀(かつら・しじゃく)師匠(享年59)をテレビで見たのが初めてで、落語ってこんなに面白いんだと記憶に刻まれまして。ただ高校まで鳥取県で生活していたので、落語に生で接する機会なんてまずなかったんです。それで大学で関東に出てきた時、初めて寄席に行ったら、テレビ以上の衝撃を受けました。最初に見たのは春風亭小朝(しゅんぷうてい・こあさ)師匠でネタは愛宕山(あたごやま)だったんですが、めちゃくちゃ面白かったんです。座布団一枚、あとは扇子と手ぬぐい以外は何も使わずにあれだけの人を魅了する。なんて芸能なんだと思いました。以来、いろんな落語を聴くようになったんです」と大学卒業後、25歳の頃に落語立川流の門を叩いた。
らく人さんはどのように弟子入りされたのでしょうか?
弟子入り後、落語界では前座(ぜんざ)見習い、前座、二ツ目(ふたつめ)、真打(しんうち)と昇進していくのがならわしになっている。「弟子入りに関しては、試験も資格もありません。私は寄席の楽屋口で師匠・志らくを出待ちして、弟子にしてくださいと直接言いました。シンプルにそれだけです。人それぞれだとは思いますが、うちの師匠は『ひと目見て才能があるかどうかは俺にはわからないので、弟子はまず取ってみる』というスタンス。師匠自身も大師匠・談志に弟子にしてもらった恩があるので、伝統は下につなげていくという考え方なんです」
弟子入り後、前座としてどのようなことをされるのでしょうか?
志らく師匠にはお弟子さんが18人いる。「基本的に前座は気遣いを学ぶ時間になります。例えば師匠がゴミを捨てようとしたら、パッとゴミ箱を出すような気遣いから始まり、お茶ひとつとっても熱い、冷たい、濃い、薄いなどどんなお茶が好きなのかなど、細かい気遣いで師匠を快適にさせるのが前座の仕事です。よく言われるのは、自分の師匠を快適にできない奴が、お客さんを快適にできるわけがない。師匠との距離の取り方で、お客さんとの距離の取り方を学んでいくわけです。これは落語界の伝統的な考え方です。だから前座の仕事は落語をすることではなく、師匠たちの着物をたたんだり、高座のめくりをめくったり、座布団を返したり、出囃子(でばやし)の太鼓を叩いたりなど、修業期間は落語ではなくそれ以外の仕事がメインとなります」
「なので落語界では、二ツ目から真打になるよりも、前座から二ツ目になるほうが一番うれしいなんてよく言われます。私は入門してから3年後、二ツ目昇進試験に臨みました。志らく一門では早かったほうかもしれませんが、とにかく前座が嫌だったもので(笑)。気遣いも疲れますし、師匠の身のまわりの世話からも解放されますし(笑)」
立川らく人という芸名の由来は?
落語家の芸名は基本的に師匠が付けてくれる。「師匠から変身前の仮面ライダーみたいな雰囲気だなと言われまして。それで変身前の名前、一文字隼人の“人”と、師匠・志らくの“らく”をとって“らく人”と名付けて頂きました」
落語はどのように覚えるのでしょうか?
古典落語と呼ばれる江戸時代から受け継がれてきた噺(はなし)は、短いもので10分、長いものだと1時間以上はある。「噺によって学びたい師匠にお願いし、面と向かって1対1で一席やって頂きます。その時は音の録音だけは許されているので、それを聞いて覚えたら後日、上げの稽古(※)をお願いして、師匠の前で一席やらせてもらってダメな部分などを直してもらい、OKが出たら人前でやってもいいという許可がもらえる仕組みです。コロナ禍では面と向かって稽古がつけられなかったので、70代の某師匠に稽古をお願いしたらカセットテープが送られてきたこともありました。テープなのか!と思いながらカセットデッキを購入したこともありましたね(笑)」
※上げの稽古:覚えた噺を見てもらうこと
得意とする噺は?
これまでらく人さんが高座にかけてきた古典落語のネタ数は150ほどあるそうだ。「よく高座にかけているのは『蜘蛛駕籠(くもかご)』や『時そば』、人情噺だったら『ねずみ』。私の場合は師匠から『落語はリズムが大事だから、書いて覚えるより聞いて覚えろ』と言われていたので、ひとつの噺を記憶するときはAブロック、Bブロック、Cブロックみたいにブロックごとの構成をイメージして聞きながら覚えています」
「古典落語はそのままやってもいいし、それを自分なりに解釈してどれだけ変えてもいい。落語は伝統芸能と言われていますが、人によっては江戸時代の噺を現代に置き換えてやる人もいたり、噺の趣旨を変えても構わないほど自由な芸能です。何から影響を受けて、何を取り入れてもいいということは、普段何をするのかが大事になるわけです」
どんな麻雀プロを目指されていますか?
「手牌を読んだりすることは専業プロの方達には勝てないけれども、私の場合は他の部分で勝負できる実力と運の身につけ方が必要だろうと思っています。運がないと勝てないと思うし、そういう持っている人間になりたい。なので好きな役はリーチ。たとえリーチのみでもリーチ・一発・ツモ・裏ドラ3枚で効率よくハネマンになる可能性があるからです(笑)」
好きなことを仕事にするためには?
「“捨てる覚悟”が必要だと思います。私の場合は“安定を捨てる覚悟”。人間国宝になられた三代目桂米朝(かつら・べいちょう)師匠(享年89)の師匠で四代目桂米團治(かつら・よねだんじ)師匠(享年55)の名言に『芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』という言葉があり、私自身も落語家は安定を求めていたら絶対にできない仕事だと受けとめています」
座右の銘は?
座右の銘はないものの、サイン色紙を頼まれたら書いている言葉はあるという。「『怠けるための努力』と書いています。同郷である漫画家の水木しげる先生(享年93)が遺した“幸福の七カ条”にある『怠け者になりなさい。』に由来しています。この言葉には働いてばかりいないで立ち止まって休むことも必要だという意味もありますし、怠けるという立場でも食えるような人間になりなさいなど、さまざまな解釈があります。そのオマージュとして『怠けるための努力』。怠けるためには最小限の努力で最大限の効果をあげられるように努めねばなりません。怠けるためなら、いくらでも努力できます(笑)」
立川らく人さんにとって麻雀とは?
「二刀流だからこそ、落語家として今まで以上にちゃんとしなければいけないと考えるようになりました。麻雀プロになったから芸が悪くなったよねと言われてしまうのは最悪なので。そしていつかは『何の得があるの?』という師匠に『らく人は麻雀をしていたから“徳”があった』と言わせてみたいものですね」
インタビューを終えて
小説『麻雀放浪記』の作者でもある阿佐田哲也先生(享年60)は、落語立川流一門会の顧問をつとめていて、談志師匠も麻雀を嗜んでいたそうだ。ということは「落語は伝統芸能であり、エンターテインメント。すごく絶妙なバランスの芸能」と語るらく人さんが麻雀プロになったのは偶然か、それとも必然なのか。もしかしたら将来、麻雀をネタにした創作落語を聞ける日も来るかもしれない。
◎写真:河下太郎(麻雀ウォッチ)/インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)
立川らく人(たてかわ・らくと)プロフィール
1985年4月16日、鳥取県米子市生まれ、AB型。横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程卒業。2011年4月、立川志らく師匠に入門。2015年2月、二ツ目に昇進。2017年、米子市観光協会 首都圏観光大使を拝命。2023年2月、日本プロ麻雀協会入会。好きな映画はエルンスト・ルビッジ監督の『生きるべきか死ぬべきか』。夕刊フジにて競輪コラム『志らくの弟子 立川らく人の自力で頑張る』連載中。
関連リンク
立川らく人 X
落語立川流一門会オフィシャルサイト