「あんまり、こういうことを言ってはいけないかもしれないけれど、対局が終わった直後は、もう麻雀を辞めようくらいに落ち込みました」
遡ること1年前に行われた第2回麻雀ウォッチ シンデレラリーグ決勝戦。与那城葵は何も抵抗できず、ほぼ一方的な敗北を喫した。この日の最高打点は2900点。4戦中3戦を終えた時点で、暫定トップの山本ひかるとの差は400ポイント近くに及んでいた。3回戦を終えた直後、卓に残り続けた与那城の目からは、とめどなく涙がこぼれ落ちていた。デビュー直後から華々しい舞台で活躍し続けた彼女にとって、それはキャリア最大級の挫折だった。
閉会式で、もはや彼女の哀惜の念は留めようもないほどに膨れ上がっていた。そんな与那城に、解説の多井隆晴が声をかけた。
「麻雀って残酷で、優勝は一人なんだよね。だけど、僕がちょっとだけ麻雀界で有名だとしたら、勝って有名になっているわけではないので。負け方だったり人柄だったり、その後のあなたが名古屋に帰った後のファンの方との接し方だったり。これからがんばるから普段の自分を見ていて、みたいな、そういう活動でファンの方はつくので。(中略)『いつか、あの時の負けが今の私を作りました』って言ってほしいんだ」
麻雀は、勝つことの方が珍しいゲームだ。どんな強者でも、負けることの方が多い。その敗北を糧として、何を学ぶか? 何を、成すのか? その立ち居振る舞いが雀士の成長に繋がるのだという。ガラスのように砕けかけた与那城の心は、多井の言葉や、地元・名古屋の盟友たちによって繋ぎ止められた。
「あの時に多井さんがかけてくれた言葉とか、鈴木優さんたち先輩方、(山田)佳帆ちゃんとか(相川)まりえも話を聞いてくれて、そういうのに励まされてもう一回やってみようと。そこからは、とにかくいろんな人に麻雀の話を聞くようにしました。今までは一人の意見しかいらないみたいな感じだったんですけど、いろんな人に積極的に聞くようにしたり、勉強会セットにもなるべく行くようにして、自分の引き出しというのを少しずつ増やしている最中ですね。メンタルは去年よりはるかに強くなったと思います」
敗北を糧として、与那城は舞踏会へと帰って来た。この1年の間に自身のYouTubeチャンネルを立ち上げるなど、多井が語っていたようにファンへのPR活動にも精を出した。また、今年の対局に向けて「凛として打つ」という目標を掲げたという。
「放送対局って、みんなそれぞれ応援してくださっている方がいると思うんですけど、私が悲しい顔をするとファンの方が心配しちゃう。泣きそうな顔をしていると思われるのが嫌で。だから凛として打ちたい。私は喜怒哀楽がすぐ表情に出ちゃうので(笑)」
あの日の涙を忘れず、そして、振り切るため――。当時と同じ卓、同じ舞台で、与那城のリベンジ戦は静かに幕を開けた。
同卓者はティアラ クライマックスリーグ2019準優勝の夏目智依、麻雀ウォッチ シンデレラリーグ2017準優勝の水谷葵、出場選手で唯一現役Mリーガーの丸山奏子といった顔ぶれ。難敵たちを相手取り、与那城は序盤からセンスあふれるアガリを披露した。
1回戦東2局1本場、先制リーチをかけたのは水谷。赤1含みのカン待ちだ。
これを受けた親の与那城は、待ちから変えるチャンス。のノベタン現張りに取れるが――
ここではを切って待ち変えせず。が5枚見えで、危険牌のを押すには値しないと判断した。また、456の三色も見据えている。
次巡、を引いたところで――
を捨ててリーチへと踏み切った!
「絶対にリーチをかけたかったんですよね。勝負手なので、それなりの待ちでぶつけたいと思っていました」
この判断が功を奏し、水谷がつかんだを捉え、12300のアガリを成就させた。
続いて東3局、ここでは夏目からピンフ・イーペーコーのリーチが入った。
またしても追いかける格好となった与那城は、赤1のシャンポンリーチで応戦! 水谷と丸山がピンズの下を早々に捨てており、の感触は悪くなさそうだ。
狙い通り、しっかりとをツモり上げ、裏も乗せて2000-4000の加点に成功した。
幸先の良いスタートを切った与那城。その勢いは、2回戦に入っても衰えを知らなかった。
2回戦南2局、2着の丸山と微差でトップ目の状況、を引っ張り続けて絶好の3メンチャンリーチをかける与那城。
高めのをツモり、2000-4000を和了。これが決め手となり、圧巻の連勝を飾ってみせた。
前半2戦を終えて、早くも100ポイントオーバー。予選トップ者には即決勝進出のチケットが渡されるというこのシステムにおいて、十分すぎるほどのアドバンテージだ。
続いて3回戦の南2局2本場、丸山が一歩抜け出した状況で水谷が3メンチャンの先制リーチを放った。これを受けた与那城の手は――
倍満・役満まで見える超大物手の1シャンテン! が、を一発で掴んでしまい、あえなく放銃。
裏ドラも乗り、8000点の失点となった。
こうして与那城がラス目となったオーラス一本場、打点が欲しい彼女はをツモ切り。マンズで2メンツ作ってのイーペーコーや引きに備えた格好だ。結果論ではあるが、もし与那城がを切っていたならば――
下家の丸山にトップを決めるテンパイが入っているところだった!
続いてを持ってきた与那城。今度は引きのダイレクトテンパイを取れるよう、を切ってめいいっぱいに受ける。先ほどまで丸山が欲していただが――
直前にを重ねてを切っていたため、これは鳴けず。結果は丸山がを引き入れて待ちのテンパイ。だが、これまた結果論ではあるが、もしも前巡に与那城がを切っていたならば、丸山はをツモってトップでこの半荘を終えていたことになる(与那城のツモってきたが丸山に食い流れるため)。与那城の繊細なバランスが、勝負の決着を長引かせた。そして――
与那城が待ちの3メンチャンリーチをかけた! タンヤオ・一発・裏のいずれかがつけば、出アガリでも夏目をまくって1着順浮上だ。その一発目――
丸山がいきなりを掴んでしまう。
まだ与那城への無筋は多く残っている。単純リャンメンの待ちならばは引っ張らないだろう。現物のとのアンコを使えば、十分に降り切れるのではないか。だが、2着目の水谷がアガリに向かってきたらまくられてしまうかもしれない――。
あらゆる思考が、若きMリーガーの脳内を駆け巡る。悩んだ末に、丸山は――
をそっと河に置いた。
リーチ・ピンフ・一発、そして裏ドラも乗せて8000点のアガリ。与那城にとっては会心の、丸山にとっては痛恨極まりない2着順変動だった。
これにより、3戦目を終えて与那城はいまだに100ポイントオーバーをキープ。また、2ラススタートという苦しい立ち上がりだった水谷がトップを飾ったことで、他3者のポイント状況がぐっと縮まることとなった。
最終4回戦も、水谷は本領をいかんなく発揮。オーラスを迎えて45000点の安定ポジション、他3者の熾烈な2着争いという状況だ。終盤を迎え、水谷に・赤1のテンパイを入れる。流局でもトップ終了のため、テンパイ料による加点といううまみがあるし、2600オールツモなどでさらに素点を伸ばす価値が非常に高い局面だ。一方――
与那城にもテンパイが入った。タンヤオ・ピンフ・イーペーコー・赤のヤミテン満貫。これをアガり切れば、夏目をまくって2着浮上だ。テンパイノーテンで丸山にまくられラス落ちする可能性もはらんでいたため、これはうれしい。
また、夏目にも最後のツモ番でテンパイが入った。役こそないものの、ドラ2・赤のカン待ち。シンデレラリーグではツモ番のないリーチがかけられるが、残すは与那城の手番のみ。リーチ・一発・ハイテイ・ドラ2・赤の跳満をアガったとしても水谷をまくるには至らず、ならばリーチ棒の温存と、ハイテイのみの出アガリに賭けたといったところか(流局時、供託はトップ取り)。
そう、お気づきの方もいるだろう。水谷と夏目が欲しているが、与那城からこぼれ出るケースがある。それが――
この引きだ。先にも述べた通り、テンパイノーテンで丸山と着順が入れ替わる状況。そしてここからテンパイを維持するにはのいずれかを勝負しなければならないのだが――
結果は頭ハネで、水谷の7700のアガリ。3回戦ではオーラスに僥倖の2着順アップを果たした与那城だが、今度はオーラスの魔物に魅入られる格好となった。
「丸山さんはをトイツ落とししたところなので、テンパっている可能性がかなり低い。それはちゃんと見ていたのに、うっかりテンパっているかもしれないという最悪のケースを考えてしまいました。それで『えいやー』くらいの気持ちでを切りました。は夏目さんが切っていて、はソーズの下の情報が少ない分、より危ないと考えました。あれは3着で終わって、ポイント80くらいで終わっているっていうのが普通。本当に反省しています」
ここまで好調を維持して「それ」を忘れかけていた頃、魔物は首をもたげて与那城に遅いかかった。ただ、あの頃と違うことが一つあった。己の不甲斐なさから涙をこぼした彼女は、もういない。本来訪れることのなかった延長戦に、与那城は凛とした姿勢で臨んだ――。
5巡目、赤1のテンパイを入れた与那城だが、慎重にのトイツ落としを選択。タンヤオや567の三色、ドラや赤牌など、全ての受け入れを見据えた進行だ。1000-2000でも3着に返り咲けるが、ツモベースならばリャンメンを選択したいところでもある。
続けてを持ってきて、イッツーの目も出てきた。すでにを切ってはいるものの、ツモって跳満なら2着に浮上だ。フリテンも辞さない覚悟を見せたが――
この引きが大きな分岐点となった。を切ってを生かしたリャンメン待ちになれば、タンヤオかドラを絡めた1ハンが保障される。また、かを切ってイッツーを目指すルートもあるだろう。与那城は――
を選択!
そして次巡、を引き入れてリーチをかけた! ツモるか丸山からの直撃で3着になるリーチ。トータルポイントもあることから無理をせず、ここは手堅くいったか。僕はそんな感想を抱いたが、与那城の狙いは別なところにあった。
「これが最高位戦ルールみたいな赤なしだったら、おそらくではなくを切っていました」
そう、手役にばかり目がいってしまったが、この可能性を見落としていた。
このツモを! 一発と裏がついて、7本折れの跳満。奇跡的な逆転劇で、与那城が2着浮上に成功したのである。
「最後の跳満ツモは存在しないものだったはずなので。結果はよくても本当にダメでしたね」
試合後、与那城は反省の弁を述べた。たしかにミスを受け止める姿勢は大事だが、僕は最終戦のオーラス1本場を見れたことをうれしく思う。1年前、切ないほどに打ちのめされた与那城の成長が、大きく感じられる一局があったことを。
ガラスのハートを捨て去って、与那城の手に一歩近づいたガラスの靴。舞踏会で凛と舞う彼女の前には、もうどんな魔物だってひれ伏すことだろう。
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