・正解があると言っても、何が正解なのか分かっているという意味ではない
長年打ち続けて結果も出しているトッププレイヤーであっても、半荘一回のうちに何度も選択に迷うことが珍しくないのが麻雀です。現状は誰一人として、麻雀の正解を知り尽くしているわけではないということは疑いようもない事実です。そういった理由から、「正解はない」と言われる方もよく見受けられます。
ですが、「正解が分からない」と、「正解が存在しない」は全く別の概念です。第20回で申しましたように、対戦者間の利害が完全に対立する「零和」ゲームで、必ず決着がつく「有限」ゲームである以上、正解が何なのかは分からなくても、正解が存在することは確かなのです。
自分で正解が何なのか全く分かっていないにも関わらず、「麻雀に正解はある」と言うのは傲慢でおこがましいと感じているからこそ、「正解はない」と主張される方もいるかもしれません。確かに、自分が選んだ打牌こそ正解で、それ以外は間違いであるかのように振る舞う打ち手がいるとすれば傲慢と思われて当然ですし、しかもそれが間違っていたとすれば恥ずかしいものです。自分の打牌に確固とした自信があるとしても、麻雀の話を発信する際にどのように立ち振る舞うのがよいかとなるとまた別の問題です。
しかし繰り返しになりますが、麻雀は取り得る打牌のどれかが「正解」になるゲームです。「自分には分からないが、麻雀に正解はある。その正解を突き詰めるために日々研究と実戦に励んでいる。」そのようなスタンスで麻雀に取り組んでこそ、競技プレイヤーとしての麻雀打ちではないでしょうか。