・正解があると言っても、必ずしも正解にこだわるべきとは限らない
今後も対戦相手と同卓することを踏まえた場合、必ずしも目先の利益を追求しない方がよいということは第14、15回で取り上げましたが、今回は目先の勝ち負けにこだわっても構わない場合も、正解にこだわることが得策とは言えないかもしれないというお話です。
前回はAIの話をしましたが、麻雀AIも人間のトップクラスとまではいかなくても、以前よりかなり強くなりました。「爆打」が天鳳九段を達成したのがまだ記憶に新しいですが、最近では深層学習を用いた麻雀AI、「NAGA」が天鳳八段を達成しました。
爆打の打牌判断を問題集にした、『麻雀AI戦術』を以前レビューさせていただきました。問題集形式の戦術書は何冊も見てきましたが、これまでで最も解答に納得させられるものでした。打牌評価を数値計算しやすい局面に関しては、AIは既に人間のトップクラスよりよほど判断の精度が高いのではないでしょうか。
私がそう感じたのは、これまでのAIの進展からです。今から20年ほど前、私の将棋の腕前は精々アマ三段クラスでしたが、当時の将棋ソフトにはまず負けませんでした。しかし、詰将棋の分野となると、ソフトは既にトッププロよりよほど早く問題を解く事ができるようになっていました。直接玉を詰ますという明確な目的があるので、AIにとって局面の評価を数値計算するのが容易だったからです。逆に言えば私が勝つことができたのは、そうでない局面、特に定跡を外れる中盤以降になると、当時のAIでは穴があったのでそこを突くことで局面をリードすることができたためです。
麻雀AIが未だに人間のトップクラスにまでは到達していないのも、現状では計算で打牌評価を求めるのが難しい、かといってセオリーとしてAIが再現できる形で一般化するのも難しい局面が少なからずあり、そのような局面における打ち回しがまだ上手くできていないためと私は考えます。
そのような局面は人間にとっても「正解」を出すのは難しく、実力者間でも意見が分かれがちです。しかし、たとえ「正解」ではないとしても、セオリーとして一般化しにくいことは承知のうえで状況を考慮した打牌をするのと、分からないものは考慮しないものとして打牌するのであれば、前者の方がより「正解」を選べる可能性が高く、結果的に実力差も出るのではないでしょうか。
一般化しやすいセオリーがまだ定着していない段階であれば、セオリーで正解が導き出せる局面で正解が出せるようになることにこだわるべきですが、そちらばかりにこだわると、「分からないなりに考慮して判断する」ことがどうしても疎かになります。そのような局面における「正解」は、おそらく麻雀AIが人間より強くなっても全てが解明されるとはいかないでしょう。だからこそ、「正解かどうかは分からないが、正解に近づけるために必要な思考を伴ったうえでの判断」が必要です。そしてその判断を行う癖をつけるためには、我々が人間である以上、正解そのものにこだわる考え方を一度脇に置く必要もあるのではないかと思うところです。