今回から、「麻雀に正解は無い」という意見に対する反論として私の考え方を申し上げていくことにします。
・ 正解があると言っても、必勝法があるというわけではない。
第13回から申し上げてきた通りです。麻雀は「不完全情報」ゲームなので必勝法はありませんが、「零和」「有限」ゲームではあるので最善手は存在します。
・ 正解があると言っても、正解が唯一無二であるとは限らない。
二次方程式には解が2つあるように、正解があると言っても、正解が1つしか無いということを意味しているとは限りません。正解が複数あるとしても、それはそれで正解があることに変わりません。
しかし、麻雀はそのゲームの性質上、異なる打牌同士にはそれぞれ様々な長所短所があります。優劣が極めて微差なので事実上は無視できる要素が多々あるというだけで、性質の違う差がある選択がたまたま完全に互角になるとは考えにくいです。よって、麻雀は打牌における正解を一つに定めることができると考えています。
具体例についてはまとめると長くなるので次回取り上げることにします。
・ 正解があると言っても、最善手が常に次善手以降と大差とは限らない。
打牌ごとの差は結果に影響を与えやすい大きなものから、極めて小さいものまで様々です。「極めて小さい」と言っても、それ以上に大きな要素では差がつかないので、極めて小さい要素が最善手を決定する要因になることも少なからずあります。その場合は次善手、あるいは三番目以降の選択であっても、最善手とほとんど差がないということも有り得ます。
「優劣が明確」であっても、「優劣が大差」とは限らず、その逆も言えるということも注意しておく必要があります。100と99.9の大小はわずか0.1ですが、前者が大きいことは「明確」です。逆に、大小を比較するのが極めて難しい複雑な式であっても、差が0.1以上つくことも有り得ます。
もし私が麻雀の正解を知ることができたら、「優劣が明確だけど微差」の局面ではたまにわざと次善手を選び、「優劣が難解だけど結構な差がつく」局面では常に最善手を選ぶような、「何か見えていないものが見えているのではないか」と思わせることができるような魅せる麻雀を打ってみたいですね。