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前原雄大「麻雀自由であれ」先人としての誇りと願い Mリーガー列伝(23)

前原雄大「麻雀自由であれ」先人としての誇りと願い Mリーガー列伝(23)

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 1981年、日本プロ麻雀連盟が創設されて以来、前原雄大プロはその大きな背中で屋台骨を支え続けてきた。2020年現在、所属プロは600人を超え、Mリーグ2019には全30選手中16名の選手を輩出している。「後進が育ってきたことは嬉しいですよね」と、そこには同団体1期生としての誇りと願いがある。

牌譜が好きだった母親

 競技かるたの人気漫画「ちはやふる」の聖地とも呼ばれている東京都府中市で、前原プロは2人兄妹の長男として生まれた。「6歳の頃、競技かるたを教えてくれた近所の方と麻雀をやったのが始まりでした」と幼少期から麻雀には馴染みがあった。「母親は漫画は買ってくれなかったけど、世界少年少女文学全集は全巻買ってくれましたね」と本はよく読んだ。

 1970年代後半から1980年代にかけて、麻雀専門誌、麻雀雑誌は13誌ほど発行されていた。

 「母親が牌譜好きだったので、当時発売されていた麻雀雑誌はすべて母親用、僕用、保存用と3冊取り寄せて創刊号から最終号まですべて揃っています」と麻雀に理解のあった母親と牌譜もよく読み、その総冊数は3000冊を超えていた。

 美術鑑賞も大好きだった母親は、前原プロが40代だった頃、他界された。葬儀後、会社を経営されていた父親が母親の保管していた麻雀雑誌を燃やしているのを見た。「麻雀、嫌だったんだろうなと。父親としては僕に会社を継いで欲しいと思っていたんでしょうから」と長男だった前原プロは麻雀の道へ進み、父の会社は妹が引き継いだ。

「勝負飯はとんかつでしたが、重たいのでやめました」と食事は基本的に乳酸菌を摂ることを心がけている©ABEMA

唯一無二の研修生として

 1981年3月、結婚と同時に麻雀荘の経営を始めた。その直前に日本プロ麻雀連盟の設立の話があり、入会の誘いを受けていたが、前原プロは丁重に断りを入れていた。「それをお断りしたのは、タイミングの問題もあったが、自分が麻雀プロに向いていないように考えていたから」と振り返る。それでも敬愛する麻雀プロから、同年9月の早朝に電話が入った。「日本プロ麻雀連盟に研修生制度が出来ることになった。いつやめてもいいからとにかく入れ」と言われた。「いつからですかと聞いたら、今日だと。何時からですかと聞いたら、午前11時からだと。今は8時ですよと答えたら、だから電話をしてるんだ」と運命の歯車が動き出した。

 数年間にわたった研修生時代、プロ入りを目指した研修生は総勢100人を超えていた。しかしその中から、プロになったのはわずか3名だった。さらにその1年後、研修生時代から残ったのは、前原プロただ1人となった。

 2期生も公募されたが、全員やめた。そして3期生として、沢崎誠プロ、藤原隆弘プロ、土田浩翔プロらがプロ入りして来た。「プロとしての段位制が敷かれたのは、入会してから3年後だったので、何かのタイトルを取るよりも、プロになれた実感を持てたこの時のほうが感慨深いものはありましたね」

麻雀には伝える力がある

 1965年、週刊大衆で阿佐田哲也さんの小説「麻雀放浪記」の連載が始まってから1980年代にかけて麻雀は、熱を帯びた時代を迎えていた。「菊池寛さん、久米正雄さんらに始まり、五木寛之さん、阿佐田哲也さん、伊集院静さんら文学界の力のおかげ」と文化人に端を発し、麻雀は日本中に広まっていった。

 そんな中、週刊大衆の主催により「麻雀名人戦」が開催された。前原プロはその大会で、生涯の師と仰ぐことになる作家の伊集院静さんと出会った。「圧巻の手順でいきなり四暗刻をアガったんです。僕だけではなく、沢崎誠さんもその対局に影響を受けて麻雀の勉強を始めたと言っていたので、麻雀には伝える力というものがあるんじゃないかな」と伊集院さんの対局を間近で見て触発された。

 この大会の牌譜は、今でも大事に持っている。「何度見直しても難解な麻雀でした。意図や意思はわかるんですが、たとえば将棋の藤井聡太二冠が打った一打が、AIでも4億手だと読めないけど、6億手だと読めるといった感じに近いところがありましたね」と伊集院さんの打つ麻雀に深淵を感じ、親交を持つようになった。「僕らの麻雀は確率寄りになってしまいがちなんですが、そうじゃないんだと。確率寄りな麻雀は、中学生にやらせておけばいい。麻雀はそうじゃない。波をつかまえるゲームなんだ」とプロとしての心構えを教わり感銘を受けた。

佐々木寿人プロとの愚直な豪腕コンビ「チームがらくた」には「鳴いたらオリるな」「愚形上等」「放銃万歳」という三箇条がある

自分が思う麻雀を打てばいい

 1989年、月刊プロ麻雀編集部からエッセイの連載を頼まれた。この時、敬愛する伊集院さんに「名付け親になってもらいたい」とお願いした。「伊集院さんから、物ではない何かを頂きたかったんだと思います。一生背負っていきたいと思いを伝えたら、書いてくださったのが雄大でした」と、誌面上で命名式も行った。

 エッセイのタイトルは「勝手にしやがれ」。題字も伊集院さんにお願いした。「エッセイは書くだけ書いて、好きに受けとめてくださいと思いを込めて始めました」と以降14年間連載した。

 エッセイのタイトルは途中から「麻雀自由であれ」と変更した。「麻雀はこうでなければいけないといったイデオロギーみたいなものがあって、それは違うと。麻雀は自分が思う麻雀を打てばいいんだ」ということを前原プロは伝えたかった。

 雄大と命名してもらった時、伊集院さんからは「40歳までに鳳凰位を取れなかったらプロをやめなさい」と言われていた。「取れなかった時は俺の運転手にしてあげるからと言われて、ラッキーぐらいに思ってました」と笑うが、39歳で鳳凰位となり、その授賞式には文学界をはじめ、各界の著名人も駆けつけてくれた。

「6歳になった孫は点数計算も出来るぐらいハマってます」と麻雀が世の中に広がりやすい世界になることを願っている

1期生として思うこと

 プロ入り当初は「囲碁将棋や落語に近いイメージで、朝日新聞や読売新聞にも取り上げられて、いずれはNHKで麻雀番組が始まるような世界になれば」と思っていた。ただ他の世界と異なったのは、プロとしての収入があまりにも少ないことだった。

 実際、日本プロ麻雀連盟初代会長の小島武夫プロが構えた事務所には、森山茂和現会長をはじめ、若手2~3人が住み込み、苦楽を共にしていた時期もあった。

 だからこそプロ界の発展を切に願っている。「おかしな表現になるかもしれませんが、本籍が連盟なんです。Мリーグに出させていただいたのも連盟に所属していたからで、やはり、連盟が故郷と考えています」と1期生としての誇りがある。後進が育ってきたことについても「うれしいですよね。寿人は置いておいて」といつもの冗談を交えながら目を細めた。

揺るぎない信念「こういう時代だからこそ」

 2020年、世界中で新型コロナウイルスが蔓延し、社会全体が閉塞している。「こういう時代だからこそ、麻雀の力なるものが世の中に浸透するようになっていけたら」とプロ界をど真ん中で見つめてきたからこそ、自身の信条でもある「牌は人なり」を体現するべく、麻雀の無限の力を卓上で表現する。

前原雄大(まえはら・ゆうだい)プロフィール

生年月日:1956年12月19日
出身地:東京都
血液型:A型
キャッチフレーズ:地獄の門番
勝負めし:特になし
主な獲得タイトル:第12・25・33・34期鳳凰位、第14・15・24・25・26期十段位、他多数
著書:「麻雀 何が何でもトップを取る技術」他

前原雄大 年表
主な出来事
1956 0歳 東京都府中市で生まれる
1961 5歳

幼稚園の頃から高校まで卓球部に所属

1981 25歳 結婚。麻雀店オープン。日本プロ麻雀連盟設立。研修生となる
1989 33歳 作家・伊集院静さんから雄大と命名される。月刊プロ麻雀で「勝手にしやがれ」連載スタート
1995 39歳 第12期鳳凰位
2015 59歳 「チームがらくた」トークイベントを開催し、がらくた三箇条を発表
2018 62歳 KONAMI麻雀格闘倶楽部よりドラフト指名を受ける

 

◎写真:佐田静香(麻雀ウォッチ) 、インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)

 

この記事のライター

福山純生 (雀聖アワー)
雀聖アワー代表。
マージャン普及を目的とした様々な事業を展開。
好きな手役は門前混一色七対子。
雀聖アワーオフィシャルサイト:http://8141.info/jansei/

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