音も立たない滑らかな模打。テンパイしても気配を消し、ヤミテンでアガることも多いことから、付いた異名は「麻雀忍者」。この打ち筋が誕生したきっかけには、多くの麻雀ファンから愛された‟ある心得“があった。
現在のプレースタイルの原点
ふたり兄弟の弟として、藤崎プロは秋田県で生まれた。父親の転勤で宮城県仙台市に引っ越した中学校の頃、同級生と一緒に本を買って麻雀を覚えると、すぐに夢中になった。
高校卒業後、アルバイトで学費を貯めてからプログラマーの専門学校に入学し、PC関連の会社に就職した。「平日は元気がないんですけど、金曜日の午後からは元気になる麻雀好きのサラリーマンでしたね」と1年半程勤めた後、23歳の頃から麻雀店で働き始めた。
そのお店にはご年配のお客さんが多かった。「上手いふりは誰でも出来るけど、下手なふりをしながらやるほうが、よっぽど難しいんだから、下手なふりしながら麻雀しなさい。そうやって最低限の成績をキープすることが、一番お前らのためになるから」と上司から接客の心得を教わった。
バブル景気が続いていた1990年初頭。麻雀店のオーナー経営を考えていたお客さんは多く、そういった方から店長を任されるようになるのが、若いスタッフにとっては、ひとつの目標とされていた時代だった。「負けているお客さんを楽しませるのも仕事だったんで、話術も磨かれましたね」と藤崎プロも店長を任される未来を思い描いた。
この接客の心得が、忍者と呼ばれる麻雀スタイルの原点となった。
東北本部の新人がいきなり十段戦の決勝へ
近代麻雀の記事で麻雀プロの存在を知り、1997年、29歳の時に日本プロ麻雀連盟13期生としてプロ入りした。東北本部に所属した藤崎プロが、プロ入り1年目に初段戦から十段戦の決勝まで勝ち上がったことは、当時麻雀界では話題となった。
その決勝戦の対局者に沢崎誠プロ(KADOKAWAサクラナイツ)がいた。対局後の打ち上げの席で、沢崎プロが声をかけてくれた。「沢崎さんからいろいろ話を聞かせて頂いた時、うちの麻雀店でスタッフを募集しているから来ないかと言ってもらえたんです」と30歳の春に上京することになった。
プロとしての心構えを教えてくれた人生の先輩
沢崎プロから、麻雀の打ち方に関して何か言われたことは一度もなかったが「お前の力を持ってしてタイトルに縁がないようだったら、麻雀プロには向いていない。タイトル戦の決勝に3回出て、1回も勝てなかったらプロはやめろ」とはっきり言われた。
それから2年後となる1999年、前原雄大プロ(KONAMI麻雀格闘倶楽部)の3連覇がかかっていた十段戦の決勝メンバーに再び勝ち残り、晴れて二度目の挑戦で初のタイトルとなる第16期十段位を獲得した。「2回目の決勝で勝てたんで、やめなくてすみましたけど」と3回目までに勝てなかったら、本気でプロをやめるつもりだった。
沢崎プロとは10年間、朝から晩までずっと一緒に働いた。沢崎プロの麻雀は何度も後ろ見した。「でもわからないんですよね。今もわからないんですけど、強さの次元が違うんですよね。理由を聞いても意味がわからないんですから」と笑う。
日々の仕事は楽しかったが、生活はギリギリで食えない時代だった。「沢崎さんには本当にお世話になりましたね。10年間でどのぐらいおごってもらったか」と飯代と煙草代に苦労することはなかった。
だからタイトルを獲得した時、少しでも返礼しようと沢崎プロを食事に誘った。支払いを済ませようとしたら「お前の分はどんな時でも俺が払う。そういう気持ちがあるんだったら、お前の後輩に返せ」と言われた。
その日以来、後輩と食事に行った時には面倒を見るようになった。
苦しむために麻雀を打っているわけではない
KONAMI麻雀格闘倶楽部からドラフト指名される前年、Mリーグ2018の表彰式を見ていた時「優勝シャーレを掲げているシーンは格好いいな」と、ある大会のことを思い出していた。
それは2016年、麻雀プロ4団体(日本プロ麻雀連盟、最高位戦日本プロ麻雀協会、日本プロ麻雀協会、RMU)から代表選手8名が選出され、各団体の威信をかけてチームとして戦った「麻雀プロ団体日本一決定戦」だった。
「一番年上だったからキャプテンになっただけなんですけど、個人成績は8人中チーム最下位でして。自分がチームを引っ張って優勝できましたではなく、いやあ藤崎だけは弱かったけど優勝しましたって後輩たちからいじられたほうが性に合っている」と支えてくれた先輩やチームスタッフと共に喜びを分かち合えた感動が忘れられなかった。
Mリーグ2018ドラフト会議直前、体調を崩して長期入院したこともあった。「あの時は悔しい思いをしました。でももしも指名されてから長期入院となれば、それこそご迷惑をかけてしまうわけで。後で考えれば、ツイていたと思えるようになれましたね」
Mリーグもチーム戦。2019年に堂々ドラフト指名された藤崎プロは、チームスタッフ全員で勝利の喜びを分かち合うことを一番の目標としている。
プロ入り以降、色紙には「必勝常笑」と書き続けている。「苦しむために麻雀を打っているわけではなく、楽しいから打ち続けているわけですから」と、Mリーグでもチーム優勝を飾った暁には、いじられることを楽しみにしている。
藤崎智(ふじさき・さとし)プロフィール
生年月日:1968年1月25日
出身地:秋田県
血液型:O型
愛称:麻雀忍者
勝負めし:特になし
主な獲得タイトル:第30・36期鳳凰位、第16・33・34期十段位、日本オープン(第3・5・6回)
年 | 歳 | 主な出来事 |
---|---|---|
1968 | 0歳 | 秋田県で二人兄弟の弟として生まれる |
1980 | 12歳 |
中学校の時、麻雀を覚える |
1983 | 15歳 | 中学、高校はバトミントン部に所属 |
1989 | 21歳 | PC関連会社に勤めるサラリーマンとなる |
1991 | 23歳 | 宮城県仙台市の麻雀店で働き始める |
1997 | 29歳 | 日本プロ麻雀連盟13期生としてプロ入り |
1998 | 30歳 | 上京し、沢崎誠プロと同じ店で働き始める |
1999 | 31歳 | 第16期十段位 |
2004 | 36歳 | 第3回日本オープン優勝(以後、第5、6回も優勝) |
2013 | 45歳 | 第30期鳳凰位 |
2016 | 48歳 | 麻雀プロ団体日本一決定戦 優勝 |
2018 | 50歳 | 体調を崩して長期入院する |
2019 | 51歳 | KONAMI麻雀格闘倶楽部よりドラフト指名を受ける 第36期鳳凰位 |
◎写真:佐田静香(麻雀ウォッチ) 、インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)