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沢崎誠が決意した日「感動を生み出せる打ち手になりたい」 Mリーガー列伝(17)

沢崎誠が決意した日「感動を生み出せる打ち手になりたい」 Mリーガー列伝(17)

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 最年長MリーガーとしてKADOKAWAサクラナイツを牽引する沢崎誠プロには、日々進化し続けている自負がある。「昭和の麻雀なんて言われてますけど、私から言わせてもらえば、今の若い子の麻雀のほうが古臭くて。私の麻雀が一番最新だと思っているから令和の麻雀ですよね」

 言い切れるのには理由がある。それはさかのぼること1990年、35歳だった時に間近で見た“ある対局”に端を発していた。

家業を継ぐことに迷いがなかった小学生

 小学校時代は蓄膿症に悩まされた。「授業にまったく集中することもできず、年間260日は早退か欠席でした」と友達と遊んだこともほとんどなかった。

 群馬県で農家を営んでいた両親の元、沢崎プロは3人兄弟の次男として育った。「兄貴は高校に行ったのでどこかに就職するだろうし、妹は継げないし、ゆくゆくは私が継ぐんだろうな」と己の将来を疑わなかった。

 しかし中学生になった時、実家周辺に公共施設が作られることになった。そのため農地は市に買収され、家業を継ぐことは叶わなかった。

大学時代に麻雀と出会い、プロ入りへ

 高校卒業後に上京し、東京理科大学夜間部に入学した。「学校の周りの雀荘は月曜から金曜まで開店と同時に満卓で、まるで授業みたいでした」と当時は麻雀ブーム真っ盛りだった。

 昼間は配送業の仕事、夜は学校に通う日々の中で、麻雀仲間が出来たのは自然の流れだった。「タンヤオだのメンタンピンと言われても、日本語じゃないので聞いたこともなかった」とルール本を片手に、用語を覚えるまでには1カ月ほどかかった。

 プロ入りは29歳の時だった。「26歳の時に嫁さんに逃げられまして(笑)。当時はそのショックでしばらく仕事も手につかなかった時期がありました。そんな頃、友達から紹介してもらった職場がセット雀荘のボーイだったんです」と、灘麻太郎プロや小島武夫プロ等もよく来ていた麻雀店で働くようになった。

 その店で定期的に行われていたプロアマ大会にも出場するようになると、11回連続で決勝に進出し、先輩プロ達からも顔を覚えられる存在になっていった。「強いかって言うと強いんだけど、上手いかというと下手なんです。なぜかというと、いつも配牌がよかったんです」と目を細めた。

プロデビュー当時から沢崎プロ(写真右)は、小島武夫プロ(写真左)の対局をよく後ろ見していた。「小島さんは華麗さという美学がありましたね」

 

己の麻雀観が変わった麻雀名人戦

 プロ入り後、タイトル戦の決勝戦はすべて見に行った。なかでも印象深かったのは、双葉社が主催していた「麻雀名人戦」の決勝戦で見た作家の伊集院静さんの対局だった。

 「それまでの僕の麻雀は全局アガれば勝てるみたいな対局をやってましたから、ポン・チー当たり前のアガリっこ競争みたいな感じでした。でも伊集院さんはリーチ後、一発で跳満となるアタリ牌が出ても、それを見逃してツモって役満ですみたいな麻雀を打っていたんです。見逃せばいいというわけではなく、アガったからいいというわけでもない。アマチュアだけど格好いい。伊集院さんの麻雀には感動がありました」

 この対局を見てから「プロってなんだろう」と自分に問いかけた。「勝つことも大事だけれども魅せることも必要なんだと。やはり感動を生み出せる打ち手じゃなければならない。それにしては私は下手すぎる。いろんな技術が足りなさすぎる」と自覚し、練習するしかないと思い至った。

麻雀の話を始めると何十時間でも平気だと笑う。「それでお酒を飲むようになったんですよね。お茶でも大丈夫なんですけど」

テーマを持ってこその練習

 「周りはたくさん麻雀を打つと練習したとよく言うんですが、テーマを持って打たなければ、遊んだに過ぎない」と練習方法は自分で考えた。「たとえば満貫しばりにしようとか、今日は鳴かないとか、リーチをしないでアガるといったように、全部自己流ですが、攻撃と守りにそれぞれテーマを持って打つことをずっと積み重ねてきました」と麻雀名人戦を見た翌日から還暦を超えるまで30年以上、休むことなく研鑽してきた。
 磨き上げてきた攻撃と守りの各テーマに関しては「それらを組み立てて一体化したものはまだ作れていない段階なんです。現段階から押したり、引いたりのバランスを見極めて一体化させていくためには、まだ2~3年はかかります。だからその間、私の麻雀は進化し続けると思うんです」と、まさに職人の世界だ。

20代の頃はものすごく短気だったそうだ。「麻雀のおかげで我慢が利くようになりました。自分で言うのもなんですけど、今は別人に見えますよね」©ABEMA

ティーチングではなくコーチング

 沢崎プロは、鳳凰位にも輝いた藤崎智プロ(KONAMI麻雀格闘倶楽部)、王位やプロクイーンも獲得した清水香織プロ(日本プロ麻雀連盟)らを育てた名伯楽としても知られている。「教えるって大変なことだから、正直やりたくはないんです。なぜなら、相手のスタイルに合わせて言っているのに、私もやらなくてはいけなくなるからです。だから待ちが多いとか、手が高いとか、そういう時にどっちを追うんですかと聞かれても、自分で責任を持って考えて選びなさいと言うだけです。正解がないものを教えるわけにはいかないんですから」と自分自身で決断するように促している。

 いうなればティーチングではなく、コーチングのプロでもあるのだ。

 沢崎プロのモットーは「楽しく打って楽しく勝つ」。「やっぱり麻雀のおもしろさは手作りであって、大きい手が一番いいですよね。そこは小島武夫さんの影響が大きいですよね。勝たなくちゃダメだというのは灘麻太郎さんや、荒正義さんの影響もあるだろうし、だから魅せてなおかつ勝つというのはプロとしての理想像ですよね」

 磨き上げてきたパーツが組み上がった時、どんな感動が生み出されるのか、その未来を誰よりも本人が心待ちにしている。

沢崎誠(さわざき・まこと)プロフィール

生年月日:1955年1月13日 
出身地:群馬県安中市
血液型:B型
所属団体:日本プロ麻雀連盟
趣味:散歩
健康法:できるだけ歩くこと
勝負メシ:とくになし
愛称:マムシの沢崎
著書:「沢崎誠の強すぎる麻雀経験論」(マイナビ出版)
主な獲得タイトル:第2期新人王、第13期十段位、第16・27期麻雀マスターズ、麻雀最強戦2013、第14回モンド名人戦、第16回モンド王座他多数

沢崎誠 年表
年齢 主な出来事
1955 1歳 群馬県安中市で3人兄弟の末っ子として生まれる
1961 6歳 小学校時代は蓄膿症に悩まされる
1968 13歳 中学生時代、農家を継ぐこと断念する
1971 16歳 高校ではバレーボール部、テニス部、自転車競技部等を掛け持ちする
1973 18歳 東京理科大学入学後、麻雀と出会う
1984 29歳 日本プロ麻雀連盟3期生としてプロ入り
作家・伊集院静さんの対局に感銘を受ける
1996 41歳 第13期十段位
2007 52歳 第16期麻雀マスターズ
2013 58歳 麻雀最強戦2013 優勝
2017 62歳 第3期麻雀日本シリーズ2017優勝
2018 63歳 第27期麻雀マスターズ優勝
2019 64歳 第5期麻雀日本シリーズ2019優勝。KADOKAWAサクラナイツよりドラフト3位指名を受ける
2020 65歳 第14回モンド名人戦 優勝
第16回モンド王座  優勝

 

◎写真:佐田静香(麻雀ウォッチ) 、インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)

 

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