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カメラマン寺内康彦「言葉はなくても、1枚の写真だけで語れることも」【マージャンで生きる人たち 第27回】

カメラマン寺内康彦「言葉はなくても、1枚の写真だけで語れることも」【マージャンで生きる人たち 第27回】

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 平成元年、1989年に始まった麻雀界最大級のタイトル戦「麻雀最強戦」は、令和元年となる2019年に30期を迎えることになる。その激闘を第6期から24年間、撮影し続けてきたカメラマンがいる。寺内康彦さんだ。選手たちの勝負にかける“一瞬の表情”を逃さず捕らえる。その矜持を聞いた。

寺内康彦(てらうち・やすひこ)プロフィール

1966年、栃木県生まれ。魚座、B型。日本大学芸術学部写真学科卒。カメラマン。好きな役はホンイツとトイトイ。好きな映画は「スティング」「大脱走」「猿の惑星」。「メッセージ性の強い映画より、痛快娯楽映画が好きですね」

カメラマンになられたきっかけは?

「小さい頃からテレビや映画が好きで、将来は映像制作に携わる仕事に就きたいと漠然と思っていました。日本大学芸術学部写真学科に合格した際、映像関連の企業に勤務している兄に相談をしたところ『大丈夫でしょ。(画が)止まっているか動いているかの違いだけなのだから何の問題もないよ』と即答してくれたので、迷いもなくなり大学に入学しました」

「学生時代にアルバイトで出版社のカメラマンアシスタントを経験していくうちに、写真の世界にのめり込み、卒業して就職したのは写真スタジオでした。そこから仕事として写真を撮り続け、現在に至っています」

写真スタジオではどんな撮影を?

「9割以上は建築物の撮影がメインのスタジオでしたから、もっぱらマンションやホテルのパンフレットやリーフレットの撮影をしていました。当時は黒い幕を被る4×5(シノゴ)と呼ばれるフィルムの大判カメラを使用していました。先輩カメラマンのアシスタントとしてジェラルミンの機材を背負い、泊まりのロケーション撮影から帰ってきては、翌日また出張の日々。家に帰ることができたのは月の半分程度で、国内ほとんどの空港に降り立ちました」

「入社3年目以降、少しずつ撮影を任せてもらえるようになりましたが、4年程たった頃にバブルが弾け、社長から『仕事を回すから独立してくれないか』と相談されました。結果、社員全員が独立することになりました。1992年、27歳の時でした」

独立されてからはどんな撮影を?

「スタジオ勤務の4年間は仕事を与えてもらえる立場でしたが、一転して、自ら仕事を生み出す立場になったわけです。独立したことで食えなくなるかもしれないと覚悟はしていましたが、これほど厳しいのかと痛感しました」

「独立してからは、辞めたスタジオの社長や先輩たちから依頼された仕事をメインに活動をしていました。さらに知り合いに独立したことを告げ、何でもいいので撮影をさせてもらえないかと営業活動もしていました。そんな折、大学時代の同級生が竹書房に入社し、新創刊雑誌のインタビュー撮影をやってみないかと声をかけてくれたのです。これがきっかけで、竹書房さんとのご縁が生まれました」

「それ以来、竹書房に出入りをするようになり、28歳の時、近代麻雀ゴールドから仕事を依頼されました。これが麻雀関連の最初の撮影でした」

麻雀関連の最初の撮影はどんな内容だったんですか?

「桜井章一会長のインタビューでした。竹書房の担当編集者から『麻雀で20年間無敗の“雀鬼”と呼ばれている方なので失礼のないように』と言われ、当時、下北沢にあった雀荘『牌の音』に伺いました。麻雀は知っていましたが、雀鬼と呼ばれている桜井会長のことを、撮影依頼を受けるまで知りませんでした。しかし、牌の音に一歩足を踏み入れ、桜井会長を見た瞬間、途轍もないオーラを感じました。『なんだこの人は!』と衝撃を受けたことを今でも覚えています」

「桜井会長から放たれるオーラを、読者の方々に伝えられるよう撮影を進めました。読者にとっては手が届かない麻雀の神様のような方ですから、そのイメージは崩したくないと思い、写真に重厚感が現れるよう意識しました。片側だけに光を当てて陰影をつけるライティングで撮影をしたことを覚えています」

寺内さんが撮影されてきた作品の数々。まさに麻雀界の歴史を写真で彩ってきた

対局中の撮影で意識されていることはありますか?

「手牌ではなくプレイヤーの表情を中心に、対局中の気持ちや感情といった臨場感を伝えられるよう撮影に臨んでいます。ただ麻雀はご存知の通り、体の動きが非常に少ない競技です。その中で意識するのは表情、とくに“目”です。目は口程に物を言うという諺どおり、やはり目が語ってくれるのです。その“目の表情”が変わる瞬間を逃さないよう意識しています」

対局中の撮影となるとご苦労も多いのでは?

「麻雀最強戦は第6期(1994年)から撮らせて頂いていますが、対局に集中しているプレイヤーにとってはカメラマン自体、邪魔な存在であることは間違いありません。いつも申し訳ないという気持ちで撮影させて頂いてます」

「もちろん、遠くから望遠レンズで狙うことは不可能ではありません。しかし、それではプレイヤーの迫力ある写真は撮れません。プレイヤーと私との距離感が大事なのです。いい写真が撮れれば、その後のプレイヤーの活躍にも良い影響を与えるものと信じております」

どんな機材を使用されているのですか?

「幼い頃、父がNikonのカメラを使っていた影響かもしれませんが、Nikon一筋です。麻雀最強戦では、NikonのD810を2台、レンズ3本で臨みます。1台には標準レンズを付け、もう1台には引きの画や印象的なイメージカットを撮るための広角レンズと、人物の表情や目線を撮るための望遠レンズを付け替えて撮影しています」

麻雀最強戦の撮影時に持ち込まれる機材。Nikon D810が2台、レンズは標準、広角、長玉の3本

麻雀最強戦で撮影されるカット数は?

「選手紹介シーンも含め、1半荘平均600~700枚、3半荘で約2,000カットは撮影します。そこからセレクトするので、編集者にお渡しするのは、1半荘につき約200枚、3半荘で約600枚くらいですね」

麻雀最強戦2019のポスター。サイド光で撮影した日本プロ麻雀連盟・森山茂和会長の写真をはじめ、稀代の勝負師たちの7割近くは寺内さんが撮影した写真だ ©竹書房

撮影にあたって、重視されていることは?

「光です。写真は光画、つまり光を撮っています。したがって、光をどう操るのかが肝なのです。自然光で一番最適な光を探したり、人工光で印象的な光を作ったり。光は本当に奥行きが深いです」

「言葉はなくても、1枚の写真だけで語れることもたくさんあります。それが、写真の面白さであり、難しさでもあるのです」

麻雀を始めたのはいつ頃ですか?

「高校2年の頃に、友達に教わって始めました。大学時代は、友達同士で結構打っていましたね。竹書房の撮影をさせて頂くようになってからは、編集者の方々とも飯田橋の雀荘でよく打っていました。好きな役はホンイツで、トップラス麻雀ですね(笑)。しょっちゅう負けていたので、誘われていたのだと思いますけど(笑)」

好きな言葉は?

「好きな言葉は“適当”。オーバークオリティ(過剰品質)もよくないので、厳密ではないが適切に当てはめるという意味での“適当”です」

「私は写真家ではなくカメラマンです。編集者やデザイナーの意図を汲み取って、こんな画が欲しいというイメージよりいい画、ご提案も含めて素材となるいい画を取ることが仕事です。そういう意味で“適当”が好きな言葉です」

麻雀と人生がリンクすることはありますか?

「麻雀は単純に言えば選択を繰り返すゲームです。人生も同じで、選択を繰り返していくものです。だから時にはその選択を間違えることもあるわけです。当たり前のことですが『あぁ、やっちゃった』は起こり得るものです。でもやっちゃったからダメなわけではなく、やっちゃったなら、フォローをすればいいだけ。選択をひとつも間違えない人はいないし、選択をしない人生というのもきっと無い」

「麻雀も与えられた手牌の中で、攻めるのか守るのかを選択していきます。麻雀が人生の縮図といわれるのは、そこなんでしょうね」

インタビューを終えて

 2018年5月28日にご逝去された“ミスター麻雀”こと小島武夫プロのご遺影も寺内さんが撮影された写真だった。「対局番組収録時に撮影させてもらった写真でした。先生の人生を象徴する1枚として選んで頂けたことは、カメラマンとして光栄に思っております」。

 時代は平成から令和へ。記念すべき30周年を迎えた麻雀最強戦2019。新たに紡ぎ出されるドラマたちは、寺内さんのファインダーを通して写真となり、後世に語り継がれていくに違いない。

写真:寺内康彦、佐田静香(麻雀ウォッチ)  インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)

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