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「わかりやすくて、おもしろい」俳優、萩原聖人の譲れないもの Mリーガー列伝(19)

「わかりやすくて、おもしろい」俳優、萩原聖人の譲れないもの Mリーガー列伝(19)

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 勝ち方にこだわり、たとえ劣勢でも、なんとかしてくれるんじゃないかと期待させてくれる。俳優、萩原聖人の華のある打ち筋は、麻雀でオリンピック室内競技正式種目化を目指す「Mリーグ」でも求められ「TEAM RAIDEN/雷電」からドラフト1位を受けた。

 日本アカデミー賞優秀助演男優賞を二度受賞している萩原聖人プロの麻雀に対するこだわりの原点とは?

ボスキャラ祖母に負けたくない

 麻雀との出会いは中学校2年の頃、友達にすすめられて、またたく間にのめり込んだ。当時の目標は、大の麻雀好きだった祖母に勝つことだった。「おばあちゃんはガチでめちゃくちゃ強い人だったんです。孫の前に立ちはだかるボスキャラみたいなおばあちゃんに敵わないのが悔しくて、麻雀に没頭しましたね」

祖母に勝つことを目標にしていたデビュー当時。以降、俳優として「一回の勝負がひとつのドラマになるような対局」を己の使命とし、麻雀を打っている

注目されたからこそ、譲れないもの

 俳優としてのキャリアは16歳の頃、ドラマ「あぶない刑事」への出演がスタートだった。アルバイトをしながらオーデイションを受ける日々を過していた中、19歳の時に受けた学園連続ドラマのオーディションが転機となった。「はいすくーる落書き2というドラマで、かつて伝説の不良と言われていた生徒役だったんですけど、坊主頭に金髪を入れたらそれがハマって」と一躍脚光を浴びた。

 以降、バラエティ番組への出演から歌手デビューまで、様々なオファーが舞い込むようになり、選ぼうと思えばどんな道をも選択出来る状況に変わった。「役者として、30代ぐらいになった時に食べられるようになれたらという感じだったんで、果たしてそんなに自分に力があるのかどうか」とあまりの注目度に、正直戸惑いを感じていた。

 その気持ちを察してくれたのは、デビューから35年間、変わらず支え続けてくれている所属事務所の社長だった。「役者になったのは、役者になりたかったからだよな」と役者としての矜持、俳優としてのあるべき姿について薫陶を与えてくれた。「価値観が多様化し、いろんな声が聞こえて来て悩んだり、苦しんだりする中にあったとしても、譲れない、変わりたくないこだわりがあることを気づかせてくれて。そういった部分では麻雀とも通じる」と、何をするにも、どんな時においても「役者として、俳優として」という社長が原点回帰させてくれた指針を軸に、役者一本でブレずにやってきた。

 その結果、テレビドラマ「若者のすべて」や映画「学校」等、時代を彩るヒット作をはじめ、声優としても「賭博黙示録カイジ」「ONE OUTS」等に出演する等、確固たる地位を築いてきた。

麻雀番組に出演するようになったきっかけ

 麻雀メディアとのかかわりは1993年、22歳だった時に双葉社・週刊大衆が主催する「麻雀名人戦」に出場したことが始まりだった。「何も考えず、ただ麻雀が好きだと思って打っていただけ」というが、その真摯な打ち筋は小島武夫プロ(享年82)、安藤満プロ(享年56)といったレジェンドたちの目にも止まった。そして現在もCS放送「フジテレビONE」で深夜から早朝にかけて生放送されている人気麻雀番組「THEわれめDEポン」をはじめ、対局番組への出演依頼が届くようになった。

 しかし当時は、昨今とは比べものにならないほど、麻雀に対する風当たりは厳しい時代だった。「はっきり言って麻雀好きというだけでギャンブルイメージがイコールで伴うリスクがあった」。趣味は麻雀と公言するだけで、いわれのない中傷を受けることもあった。

「大衆にわかりやすく伝えるためには、プロの力が必要」と25歳の時、麻雀対局番組に初めてメイクとスタイリストの導入を提案したのは萩原プロだった©ABEMA

役者として、麻雀対局番組へ

 麻雀と真摯に向き合い続けていたことは社長も知っていたので「THEわれめDEポン」への出演に対しては「俳優としてなら出ろ。だから打つ時も演じてくれ。格好よくいてくれ。あとは道を行け」と快く送り出してくれた。

 この言葉を受け「役者が打つ麻雀とは何か」と自分に問いかけた。「いつでもハラハラドキドキしてもらえるような麻雀を打つ」という結論に至り、1997年から2020年までの間、最多優勝回数14回と結果も残し「われポンキング」という異名を持つまでになった。

 極上のエンターテインメントとして認識されるようになったその打ち筋は、麻雀プロ団体からも求められ、2018年、Mリーグ創設に伴い、日本プロ麻雀連盟からプロデビューした。「俳優として麻雀を打つという使命を果たす。その思いがあったから今の自分があると信じているし、プロの世界に足を踏み入れた時に、それだけじゃダメなんだということはわかっている上で、それでも自分にしかできないことというのが、Mリーグの中にはあるだろうし、その部分はブレたくない」と、勝負の世界で役者として、麻雀プロとはどうあるべきか、日々正面から向き合い続けている。

「聖人はいい麻雀を打つからねと言ってくれて。その言葉は自分だけでは生み出せないポテンシャルを引き出してくれました」と小島武夫プロに感謝している

Mリーグスローガン「この熱狂をさらに外へ」に対する解釈

 3シーズン目を迎えたMリーグは「この熱狂をさらに外へ」というスローガンを掲げている。萩原プロは、麻雀を知らない人を“外”と受けとめている。その上で「映画やドラマも同じで4つにわけると、わかりやすくておもしろいもの。わかりやすくてつまらないもの。わかりにくくておもしろいもの。わかりにくくてつまらないものがある。外に発信するなら、わかりやすくておもしろいものでなければだめなんです。わかりにくくておもしろいものは、外にはなかなか通用しないからです」と所属するTEAM RAIDEN/雷電では、勝ち方にも負け方にも美学を持ち「わかりやすくておもしろいもの」を追求している。

 それゆえ、結果が出た時に「らしくない勝ち方だったね」と言われることに悔しさを覚える。

勝ち方にこだわる、劣勢でもドラマを期待させる

 「一人では生きていけない」というほど人が好きな萩原プロは、出会いよりも再会を大事にしている。「出会いと再会って麻雀の配牌にも似ているかもしれません。いい配牌と出会っても、その配牌が活かせないこともあるけれど、次に出会った時には必ず活かす。悪い配牌と出会ったとしても、次に出会った時には必ず活かす。出会いと再会を繰り返すところは、麻雀も仕事も人も同じですね」と、あらゆる再会を心待ちにしている。

 10代の頃から麻雀に魅了された男は、生涯役者という矜持を抱き、卓上が晴天でも、凪の状態であっても、逆風が吹いたとしても、その使命をまっとうする。そこで極上のドラマを演じ続けるために。

萩原聖人(はぎわら・まさと)プロフィール

生年月日:1971年8月21日 
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
血液型:B型
所属団体:日本プロ麻雀連盟
勝負めし:特になし
主な獲得タイトル:第6回麻雀最強戦各界雀豪大会、優勝第5回モンド21杯、麻雀大王位決定戦、他多数
著書:麻雀 逆境の凌ぎ方 (近代麻雀戦術シリーズ)

萩原聖人 年表
主な出来事
1971 1歳 神奈川県生まれ
1987 16歳 あぶない刑事でテレビ初出演
1990 19歳 学園連続ドラマ「はいすくーる落書き2」への出演が転機となる
1995 24歳 映画「マークスの山」で日本アカデミー優秀助演男優賞、ブルーリボン助演男優賞を受賞
1996 25歳 MONDO TV麻雀対局番組「New Wave CUP」にメイクとスタイリストの導入を提案
1997 26歳 フジテレビ麻雀対局番組「THEわれめDEポン」初出場。映画「CURE」で日本アカデミー優秀助演男優賞を受賞
1999 28歳 「New Wave Cup」優勝
2004 32歳 「第5回モンド21杯」優勝
2015 45歳 麻雀大王位決定戦 優勝
2018 47歳 日本プロ麻雀連盟よりプロデビュー
TEAM RAIDEN/雷電からドラフト1位指名を受ける

 

◎写真:佐田静香(麻雀ウォッチ) 、インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)

 

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