「卓上で死んでもいい」。高校時代、作家・阿佐田哲也の小説「麻雀放浪記」でピカレスクな世界を知った瀬戸熊直樹プロは、本気でそう思っていた。プロ入り後「日本プロ麻雀連盟の頂点である鳳凰位を取って死にたい」と目標が定まってからは、その破滅型思考に変化があったという。
「自分は何がしたくて麻雀をしているんだ」
自衛官だった父親は転勤が多かった。「そのおかげなのか、人見知りはしなくなりました」と北は青森県から九州は熊本県まで小学校4回、中学校3回の転校を経験した。
高校ではカード麻雀が大流行していた。「休み時間になると男子生徒のほぼ全員がやってました。修学旅行先の旅館では、カード麻雀卓が50卓は立ってましたね」と進学校だったこともあり、周りは頭脳ゲーム好きが多かったそうだ。
かくしてカード麻雀では飽き足らず、同級生たちと県内の麻雀店に片っ端から電話した。「学ランでも打てる店を探したら、1軒だけあって、そこが僕らの溜まり場になりました」とその店に集まった仲間は全員浪人した。「結局3浪したんで、大学に入学した年は3歳年下の妹と同じだったんです。妹は首席で卒業して授業料が免除になりましたが、兄貴は就職活動もいっさいせず、麻雀店に入り浸っていました」と月平均400半荘と麻雀にどっぷりのめり込んだ。
当時は麻雀プロという存在を知らなかった。「自分は何がしたくて麻雀をしているんだ」と自問自答しながら、来る日も来る日も牌を握った。ただ「麻雀の世界で生きて行こう」とは思っていた。

麻雀放浪記さながらの学生時代
大学時代は4年間、鳶職(とびしょく)のアルバイトを続けていた。「毎週土曜日は府中競馬場で馬券を買い、京王閣競輪へ行って車券を買い、競艇場に行ってそこでオートレースもしながら、夜は麻雀でしたね」といった濃厚な生活を、鳶職の先輩達とみっちり共有した。「元旦に唯一やっている競艇場は浜名湖だけだったんで、大晦日に鳶の先輩達と出かけて、種銭が尽きるまで西に行くぞなんてことをやってました。まだ若かったので、破滅するまで突っ走って行きたいという感情がありましたね」と破天荒だが、温かみのある先輩たちに囲まれて過ごした。
大学4年になった時、就職指導室の先生から呼び出しがあった。「麻雀の世界で生きていきたい」と言ったら「とりあえずこの会社を受けてこい」と紹介された会社の試験を受けた。「大学時代何してたと?聞かれたので、麻雀しかしてないですと言ったら、よし、気に入った!と言われたんです」と内定をもらった。
就職が決まったことを両親に報告すると心底喜んでくれた。父親から「石の上にも3年という言葉があるから、つらいことがあっても3年だけ頑張れ。3年やったらお前の好きにしていいから」と言われたことを胸に刻み、入社した。
サラリーマンとなり、満員電車に乗る生活が始まった。「でも1分、1秒と時計とにらめっこしている自分がいるんです」と入社当初は終業時間の17時までが苦痛でたまらなかったが、社内の人たちとも卓を囲むようになってからは仕事も楽しくなってきた。
そんな頃、日本プロ麻雀連盟が主催するマスターズに出場し、アマチュアながらベスト8まで勝ち上がった。この時、初めて麻雀プロという存在を知り「シード権がもらえるなら、プロになったほうが早い」とプロテストを受験し、1998年、27歳の時にプロ入りした。
平日は仕事、週末はリーグ戦という日々の中でストレート昇級を重ね、プロ入りから2年目にはA2リーグまで駆け上がった。「ちょうどその頃、会社から役職につかないかという話を頂いたんです」と社会人3年目、29歳だった瀬戸熊プロは、これまで通り仕事を続けながらプロ活動を続けていくのか、それとも麻雀プロ1本で生活していくのかという岐路に立った。
そして「石の上にも3年」という父親との約束を果たしたこともあり、麻雀プロ1本で生きていく覚悟を決めた。退社したその日から「日本プロ麻雀連盟の頂点である鳳凰位を取って死にたい」と目標が定まった。

レジェンド達の壁「破滅型でやっていても勝てない」
2005年、34歳の時、鳳凰位決定戦の決勝に残った。最終日の最終戦まではトータルトップの座に位置していた瀬戸熊プロは、土田浩翔プロ(当時日本プロ麻雀連盟)に大逆転を喫した。
臍を噛むほどの悔しさを味わい、自分に何が足りないのか考え抜いた。その結果「規則正しく生きることが大事だ」と行き着いた。「なぜかというと、強い先輩たちはその日の調子の良し悪しで自分のちょっとした異変に気づけているからです」と勝負の分かれ目は、日々の過ごし方にあり、いついかなる時も自分の状態を知ることだと気づいた。
その日以降、鳳凰位決定戦が行われる時間に合わせて起床する等、自身の生活のすべてを鳳凰位を取るためだけに照準を合わせた。それから4年後となる2009年、再び決勝に残り、日本プロ麻雀連盟の頂点である鳳凰位に登り詰めた。
念願だった鳳凰位になった瞬間「トップになった自分は、連盟員の目標にならなければいけない」と意識が変わった。「鳳凰位の僕が食えなかったら夢がない世界になってしまう」と、どんな仕事でも引き受け、ときには自ら売り込みに出かけることもあった。
破滅型思考が変わったのは「これでもかというほど強い先輩達がいてくれて、その背中を追いかけることができたから」だと先輩達に改めて感謝した。「本当に化け物みたいに強いんで、そういった先輩たちに勝つためには一体何をすればいいんだというところからスタートしたんですよね。麻雀を打ってきた回数では負けないかもしれないけれど、生きてきた時代が激しすぎて、こっちが踏み込めない領域があるんです。そこに太刀打ちするためには、規則正しく真面目にやっていくしかない。同じ破滅型でやっていても勝てないと思ったんです」とA1リーグに昇級した2005年から2020年まで一度も降級することなく、鳳凰位を三度獲得した。

麻雀だけは最後までノートを完成させたい
瀬戸熊プロには最初に鳳凰位を取った時からこれまで11年間、1日も欠かさず続けていることがある。「三行日誌を続けています。その日誌には、その日嬉しかったこと。嫌だったこと。明日の目標という3つのことを書き留めています」と今日という1日を明日に生かすために言葉を刻み、自分を律している。「小学校の頃からノート1冊、最後まで使いきったことがなかったんです」と転校が多かったこともあり、ひとつのことを突き詰めることはできなかったという悔いがある。
だからこそ「麻雀にだけは正直でいたい。せめて麻雀だけは最後までノートを完成させたい」と願い「どんなエンディングが待っているのかはわからないけど、そのためには日々一生懸命やるしかない」とその答えを知るため、己のすべてを麻雀に捧げるつもりだ。
瀬戸熊直樹(せとくま・なおき)プロフィール
生年月日:1970年8月27日
出身地:千葉県
血液型:O型
愛称:卓上の暴君
趣味:クラップダンス
著書:「麻雀 アガリの技術」(マイナビ出版)
主な獲得タイトル:第26・27・29期鳳凰位、第6・9期無双位、第14期發王位、第28・29・30期十段位
年 | 歳 | 主な出来事 |
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1970 | 1歳 | 千葉県生まれ |
1982 | 12歳 | 小学校では剣道と並行してサッカー、野球部。中学校では、サッカー部と野球部に入部 |
1985 | 15歳 | 熊本県立熊本高等高校入学 |
1989 | 18歳 | 高校卒業後、3浪中のほとんどの時間を麻雀店で過ごす |
1991 | 21歳 | 東京経済大学入学後、ほとんどの時間を麻雀店で過ごす |
1995 | 24歳 | 建設会社に入社 |
1998 | 27歳 | 日本プロ麻雀連盟14期生としてプロ入り |
1999 | 28歳 | 建設会社を退社後、麻雀プロ1本で生きていくことを決意する |
2005 | 34歳 | A1リーグへ昇級。鳳凰位決定戦で敗れる |
2009 | 38歳 | 第26期鳳凰位 |
2010 | 39歳 | 第27期鳳凰位 |
2012 | 41歳 | 第29期鳳凰位 |
2018 | 48歳 | TEAM RAIDEN/雷電よりドラフト2位指名 |
◎写真:佐田静香(麻雀ウォッチ) 、インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)