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和久津晶の目指す道「お母さんのような存在になりたい」 Mリーガー列伝(27)

和久津晶の目指す道「お母さんのような存在になりたい」 Mリーガー列伝(27)

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 2019年、和久津晶プロはMリーグ参戦にあたって戦闘民族をイメージして登場した。2020年には新型コロナウイルス撃退を願い、妖怪アマビエを体現したこともあった。

 こうしたエンターティナーたる原点には、葛藤を抱えながら天寿をまっとうした母親の存在があった。

顔の表情筋から、言いたいことを当てる幼少期

 和久津プロには、母親が作るご飯を食べた記憶がない。「お母さんは体がどんどん動かなくなっていく脊髄小脳変性症という難病にかかったんです。私がひらがなを覚えた頃から、ひらがなボードでしか話ができない状況で、ほんのひとことぐらいしか喋れないという環境の中で育ったんで、声読み、表情読み、目追いというのはその頃からやっていたんです」と母親のほんの少ししか動かせない顔の表情筋から、何を言いたいのかを当てる幼少期を過ごした。

 小学2年生の頃から母親に代わって、家族5人分の家事は和久津プロが担うようになった。「家に戻るとすぐに洗濯機を回わして、夕飯の買い出しに行って、お風呂掃除して、ご飯作って、後片付けをして、最後に自分がお風呂に入ってからやっと宿題ができるという毎日でした」と学校の休み時間だけが唯一、友達と遊べる時間だった。

 脊髄小脳変性症には治療法がない。「体は動かなくても、脳ははっきりしている状態なので、お母さんはものすごい葛藤をかかえていました。誰かに頼るのは嫌いで、誰かに何かをするのは好きだけど出来ない。お母さんは何かを成し遂げたい思いが常にあったので、私が何かしたいというのは、お母さんの血かもしれないですね」と英検の資格を持っていた母親は、難病と闘いながら自宅で英語教室を開催していた。

 余命宣告を受けてからも自宅で生活を続けた。「入院すると噛んだり飲み込んだりという食べる力が衰えてしまい、2~3年で亡くなってしまう病気だからです。入院せずに無理矢理でも体を起こさせてご飯を食べさせて、昼間は車椅子でとにかく出かけるという毎日でした」と、余命宣告を受けてから21年間、その命をまっとうした。「亡くなった時も病院のベットではなく、家で亡くなりました」と和久津プロがプロ入りした2007年、天国に旅立たれた。

心の支えを失い、プロ活動に区切りをつけようと決意

 プロ入り後、順調に昇級していたが、母親が亡くなってしまったことで心の支えがなくなり、うつ状態に陥った。「1年半程、プロとしての活動は出来ませんでした。家で24時間、来る日も来る日も大人の塗り絵をやってました。麻雀をやれば忘れられるかなと打ちに行っても、卓に座ると涙腺が崩壊したように涙が止まらなくて、周りの人もどうにも出来ない。そんな状態で延々と打っていましたね」と現実を受け入れることが出来なかった。

 当時の麻雀スタイルは基本的に守備型だった。「守備型だと負けないけど、やってもやっても全然勝てない。これってやってる意味あるのかな」と思い至り、2011年、プロ活動に区切りをつけることを決心した。

 「最後にプロクイーンに出て、優勝できなかったらプロをやめよう」と各団体から150人程の女流プロがエントリーしてくるタイトル戦に出場した。「優勝できなかったらやめるということは、ほとんどやめるつもりだった」という中で1次、2次予選、ベスト16、ベスト8を勝ち上がって決勝に残った。

 決勝では「麻雀の神様から勝てと言われて勝てたような気がした」と初タイトルとなる第9期プロクイーンを獲得した。「この時に勝ったことには意味があるはずと思ってプロを続けたんですよね」と以降、守備型から攻撃型にスタイルチェンジした。

日々の筋トレは欠かさず、体脂肪率は10%台をキープしている。「姿勢だけは昔から変わらないですね。ショーダンサーだったので」と対局中、椅子の背もたれには一度たりとも背中をつけない©ABEMA

言葉に力を宿すためには勝たなければいけない

 プロ入り前まで10年以上、ショーダンサーとして生きてきた。スポットライトの当たるきらびやかな世界で輝きを放つためには、過酷な競争を勝ち抜かなければならない。「理不尽なことでいじめられても、決して頭を下げないのは、お母さんも同じだった」と文句も言わず、愚痴を言っても始まらないと、ひたむきに努力を続けた。

 「一番になれたら、私をいじめる人もいなくなるし、私が一番になったら、私がいじめなければいいだけ」とその胸にはいつも、運命に立ち向かう母の姿があった。

 「可愛かったわけでもない私が、歳を重ねるごとに重力に逆らってでも、やればできるということを伝えられる人になりたい」と麻雀プロの世界でも、逆境に置かれた時にこそ、そこでどう立ち居振舞うのか。言葉に力を宿すためには勝たなければいけないと己を鼓舞し、2016年には日本プロ麻雀連盟創設以来、女流プロでは二人目となるA1リーグ昇格を決めた。

北海道から九州まで地方にも積極的に足を運ぶ。いざ行くとなれば「意外と白いと言われないよう、しっかり肌を焼いて、やっぱり黒いって言われるよう準備して行きます」©ABEMA

一打で自分の人生が変わったり、相手の人生が変わることもある

 後輩プロたちの面倒をよく見ている上、真摯な打ち手がいると男女問わずプロ入りを勧めている。「その人の隠れた努力の一面を知ることが出来ると、幸せな気持ちになるんですよね。人っていいなみたいな。だからもっと見つけていきたいし、もっと輪を広げていきたい」と実際、和久津プロの勧めで、桜川姫子プロや咲良美緒プロもプロ入りした。

 「私がプロ入りしたのは30歳頃でしたが、若いうちだと仮にやめた後でも、どうにかなる。プロになるなら絶対若いほうがいい。いろんな経験も出来るし、一打で自分の人生が変わったり、人の人生も変わったりもするので、そういう体験って生きているうちになかなか経験出来るものでもない」

色紙には「NO FATE!」と映画ターミネーター2のテーマでもある「運命なんてない!」と書いている。自分を導いてくれた母への想いを込めて

麻雀は「思いやりのゲーム」

 和久津プロは麻雀を「思いやりのゲーム」だと捉えている。「普段から相手を思いやって、人の気持ちを共感できるような人であれば、自然にいろんなことが読めてくる。そうすると麻雀にも役に立つし、友達も増えて、人生も楽しくなるのかな」

 そのすべての原点には、懸命に生きた母親の姿がある。「お母さんみたいに何かを与えられる存在になりたいんですよね。お母さんのように背中で伝えられるような存在に憧れているんじゃないかな」と麻雀を通じて、母のように運命に立ち向かい、自らの未来を切り開ていく。

和久津晶(わくつ・あきら)プロフィール

生年月日:1978年2月17日 
出身地:東京都
血液型:O型
所属団体:日本プロ麻雀連盟
愛称:超攻撃型アマゾネス
主な獲得タイトル:第9・12期プロクイーン、第17回女流モンド杯、第20期九州プロリーグ・皇帝位決定戦他

和久津晶 年表
主な出来事
1978 1歳 三人兄弟の長女として東京都で生まれる
1985 7歳

兄がやっていたゲームで麻雀を知る

2007 29歳 日本プロ麻雀連盟23期生としてプロ入り。お母さんが他界される
2011 33歳 プロ引退をかけて第9期プロクイーンに出場し優勝する
2014 36歳 第12期プロクイーン優勝
2017 39歳 A1リーグ昇格
2019 41歳 セガサミーフェニックスよりドラフト指名を受ける。Mリーグ2019準優勝。第17回女流モンド杯優勝
2020 42歳 第20期九州プロリーグ・皇帝位決定戦優勝

 

◎写真:佐田静香(麻雀ウォッチ) 、インタビュー構成:福山純生(雀聖アワー)

 

この記事のライター

福山純生 (雀聖アワー)
雀聖アワー代表。
マージャン普及を目的とした様々な事業を展開。
好きな手役は門前混一色七対子。
雀聖アワーオフィシャルサイト:http://8141.info/jansei/

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