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麻雀評論家 梶本琢程 「面白かったら続けたらいい。うまくいかなかったら次を考えたらいい」【マージャンで生きる人たち 第13回】

麻雀評論家 梶本琢程 「面白かったら続けたらいい。うまくいかなかったら次を考えたらいい」【マージャンで生きる人たち 第13回】

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「対局解説はおなじみ理論派雀士、梶本琢程~!」。土屋和彦アナウンサーから紹介され、蝶ネクタイで登場する梶本琢程プロ。『MONDO麻雀プロリーグ』をはじめ『麻雀最強戦』『夕刊フジ杯』など、対局解説だけでも月平均40対局、年間約500対局以上を担当。解説だけにとどまらず、幅広く仕事されている文字通りマージャンで生きる人。その原動力に迫る。

 

梶本琢程(かじもと・たくのり)プロフィール

1971年、鳥取県生まれ。A型。神戸大学卒。麻雀評論家。麻雀博物館館長。好きな役は七対子。

 

麻雀を始めたのは?

「大学生になってからです。小学生だった頃、父親が近所の人たちと家で麻雀をやっていたんで、ジャラジャラうるさいなという認識はありました。ひとりっこだったからかもしれませんが、とにかく退屈なことが嫌いな子供でした。週末は友達を呼んではドンジャラ、もしくは従兄弟とセブンブリッジ。セブンブリッジとは、7を中心にシュンツを伸ばしていくトランプゲームで、麻雀に似ています。だからドンジャラとセブンブリッジが、シュンツとコーツを作る原体験になっていたんです。麻雀を覚えてからはどんどんのめり込み、体育会系のバスケット部もやめ、学校にも行かなくなってしまいました」

 

プロを目指したきっかけは?

「仲間と通っていた雀荘のオーナーが『101競技連盟』の選手だったんです。その縁でプロの世界に興味を持ちました。101競技連盟では全自動卓を使いません。手積みでゲームを行うので、点棒のやり取りもすべて記憶しながら対局していきます。気づけば月例会にも参加するようになり、101競技連盟のプロテストを受験した次第です。でも私は一発で合格できず、追試でなんとか滑り込みました。麻雀プロになれば、就職しないことは両親に対する言い訳にもなるかなと。不純な動機でしたね(笑)」

「プロになって7~8年経った28歳の頃、転機となる出会いがあったんです。当時の私は、金子正輝プロや井出洋介プロのようにタイトルを獲れば、稼げるチャンスがあるのかなと漠然と思っていました。ただこの先麻雀プロとしてどうなるんだろうと漠然とした不安も抱えていました。そんな折に同じ雀荘で働いていた黒木真生プロから声をかけてもらい、対局番組に出場できることになったんです。そこでバビィこと馬場裕一プロと初めて会いました。馬場さんからは記事書くの興味ある?っていきなり聞かれました。ちょうど近代麻雀で増刊号を出す準備があるとのこと。プロとして仕事の幅が広がるチャンスだと感じた私は、2000年に神戸から上京しました。翌年、最高位戦日本プロ麻雀協会に移籍。その半年後、日本プロ麻雀協会が発足することになり、立ち上げから参加しました。4年ほど在籍した後、フリープロになった次第です」

 

初めて解説した対局は?

「2000年に放映されたMONDO TV番組『電影大王位決定戦』決勝戦が初めての対局解説です。この番組は、小島武夫プロをはじめとするベテラントッププロに若手プロが挑むというコンセプトでした。その若手プロカテゴリーに、私も出場させて頂いていたのです。予選で負けてしまったんですが、決勝戦を解説させてもらいました。いつも対局後は牌譜(対局記録)を肴に飲みながら語っていたので、解説自体はスムーズにできた記憶があります。当時は牌譜は誌面で解説するのが当たり前の時代。だから現在のように対局を映像で見る時代になるとは思ってもいませんでした」

「『電影大王位決定戦』が放映された翌年。選手としてMONDO TV番組『未来戦士21杯』にも出場させてもらいました。でも結果は残せませんでした。その後放映された『第4回モンド21杯』では、若手プロとベテランプロというふたつのカテゴリーに16人が選ばれましたが、私は落選しました。なんで自分よりキャリアのない選手が選ばれるんだ!? 当時は自分より若いプロが選ばれたことに対して悔しい思いが正直ありました。よく考えれば、戦績も残してなかったから当然なんですが」

「そんな時に、馬場さんから言われたんです。梶本、お前ナビゲーターやらないか? ナビゲーターだったら毎回番組に出られるぞ!って。馬場さんのこのひと言が、私の転機となりました。対局解説者として歩み出すきっかけとなったのです。その後、麻雀業界で仕事をしていくにあたって、ありとあらゆることを教えてくれたのも馬場さんでした。仕事の段取りから、常に挑戦していくことの大切さも含めて」

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MONDO TV『麻雀BATTLE ROYAL生放送SP!』解説ブースにて

 

 

解説を始めた当初と今現在に違いはありますか?

「当時と今を比べると、あまり難しいことは言わなくなりました。知り合いから難しいこと2割、簡単なこと8割が聞きやすいと言われたことがあったんです。それはいいとすぐに取り入れました。きっちり分けてるわけではありませんが、そのぐらいのバランスで話しているつもりです。最終手出しが二萬だから、読み筋はどうこうなんてことは、視聴者にとって難しいうえにわかりづらい話。常に老若男女、誰が聞いてもわかりやすく話しているつもりです。それとだらだら長く話さない。これは『THEわれめDEポン』の名実況、フジテレビ・野島卓アナウンサーから頂いたアドバイスです。対局番組は画面の切り替えが早いので、しゃべるときはとにかく短く。その他にも野島さんから教わったことは多々ありました」

 

解説で失敗してしまったことは?

「失敗ではありませんが、出場選手の呼び方に関しては悩みました。最初は名前を呼び捨てにして解説していました。ある日、ゲストで行った雀荘で、小島先生のファンから呼び捨てはないでしょう。小島武夫先生に対して〝小島〟ってと指摘されまして。出場選手を呼び捨てにすることが間違いとは思いませんが、先輩や目上の人を呼び捨てにすることに眉をひそめる人がいて当然です。自分でも違和感を感じていたのは事実だったので、普段呼んでいる呼び方で解説するようになりました。また競技麻雀の場合、普段何気なく使っている用語にも、放送禁止用語がけっこうあるので気をつけています。あとは前の日に飲みすぎて遅刻しないことですかね。酒癖が悪いと自覚しているので(笑)」

 

解説上達の秘訣は?

「対局解説はそんなに難しいことではありません。実況のほうが断然難しいと思います。MONDO TVで言えば土屋和彦さん、THEわれめDEポンで言えば野島卓さんの役割です。もしも自分で解説をしてみたいと思うなら、対局番組の音を消して、解説してみると練習になります。対局番組の場合、画面数が最低4画面あり、切り替えも早いので、最初は面食らうかもしれません。でもやってみると面白いのでオススメです。あとは対局が終わってから、出場選手に話を聞くのはいいと思います。なんであの牌を切ったの?なんて質問から、その人の思考が見えてくるので、次の解説機会に活かせる素材になります。今でもやっていますが、オンライン麻雀ゲーム『天鳳』を使った解説番組をニコ生配信するのも練習になっている気がします」

 

トレードマーク、蝶ネクタイの由来は?

「フリープロになった2006年。MONDO TV番組『モンド21東京六大学麻雀リーグ戦』が放映されました。各大学チームに著名人の顧問がいて、慶応大学はコラムニストの神足裕司さんが顧問だったんです。神足さんのトレードマークが蝶ネクタイで、格好いいなと思ったんです。ネクタイを毎回変えるのもいいけど、蝶ネクタイなら目立つかなと。プロは知ってもらってなんぼの世界なので、自分もするようになりました」

 

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