第二章 麻雀はこんなゲーム
(10)「メンタルを強くする」ということは良く言われますが、強くあろうとすればするほど、それでも思わぬ不運が来てしまうと、時には心が折れてしまいかねないのが人というものです。ですから、私は心を強く持とうとするのではなく、発想自体を転換させていくことこそが必要であると考えます。「最良のムダヅモ」。麻雀における、発想の転換の中でも最たるものではないでしょうか。本の中で最も印象に残った言葉でした。
とらわれなくていいものにどうしてもとらわれてしまう場合は、価値観自体を転換させていく、それも自分の努力で何とかしようとするのではなく、転換させてくれる存在に出会わせていただく。これは何も麻雀に限ったことではありませんね。己の積み上げてきた価値観から解放されていく世界。皆様にも出会ってほしいと願うことであります。
(11)第6回でも申しましたが、打牌を比較する際は過去を持ち出さず、常に今ここでの選択であることを意識すべきです。しかし、皮肉なことに、麻雀に関する知識があればあるほど、過去の出来事を記憶する能力があればあるほど、結果論かは別として、自分の選択が結果として失敗に終わってしまったことに気付く機会が多くなることになります。
実は私自身は、自分の手牌を把握するだけでも精一杯で、手出しツモ切りはおろか他家が何を切ったかについてもほとんど考えが回らなかったので、「上家の牌をチーした場合、下家がツモ切りした牌は、チーしていなければ自分がツモっていた牌である」ということにさえ、麻雀を覚えてから何年も気付かぬまま打っていました。しかしそのお陰で、「次のツモ牌が何かを予測する」といった類のオカルト思考に染まらずに済みました。
「オカルトに傾倒する打ち手は頭か、あるいは心が弱い。」オカルトを信仰する人をそのように揶揄する人もいます。私自身もそうでした。しかし、思い返せば、私は愚鈍であったからこそ、オカルト的思考にさえ頭が及ばず、実戦で何が起きているかにも気付けなかったからこそ平常心でいられただけでありました。雀力向上のために特別な才能や努力は不要。そのことを一人でも多くの方にお伝えできるように、今後も記事を書いていければと思うばかりであります。
本記事に関するご紹介

ツキ、流れ、勢いといったあいまいな表現を嫌ってきた著者の明晰な頭脳で、麻雀を論理的に限界まで語りつくされてます。