序章
1 打リーチ 「手変わりが少ない先制悪形のみ手をリーチするかどうか。」リーチするのもしないのも優劣には大差ないので、が他家に使われにくいか、山に残っているかという、「可能性の読み」が判断に影響する局面であると言えます。
本書ではを他家が持っていない可能性が高い理由について解説されています。読み自体はいずれも正しいものですが、ここまで丁寧に読む必要はないでしょう。「科学する麻雀(講談社版)」で取り上げられていたような、ごくシンプルな山読みの技術があれば、が他家に使われにくいということは十分に判断できます。
2 ポン打 判断となっている理由そのものは正しくても、定量的でなく定性的なものばかりであれば、「理由はいくつも挙げられるが、それでも判断が覆るほどではない」ケースで別の打牌をしてしまう誤りをしがちになりますが、定量的な説明が出来る例はそれほど多くないというのが現状です。
とは言っても、「特に条件がなければどの選択も大差ないので、定性的とはいえ○○という理由があるため今回は打○とする」というのは十分合理的で、判断の精度を上げていくうえで必要な考え方であるでしょう。
今回の問題はポン打としました。理由は以下の通りです。
・ 30符1翻良形と40符3翻悪形は、打点に大差あるので後手とはいえ平場なら後者が有力だが、今回はトップとかなり大差で高打点アガリの価値が低い一方、リーチ者とは僅差のためアガリ自体の価値は高い局面なので前者が有力とみる。
・ リーチ者に通っている牌がかなり少ないので、降りている他家がを持っているならすぐに切られる公算が高く、切る牌のも以外には当たりにくいワンチャンスなので通りやすい。
一方は特に出やすい牌ではないので、アガリ率でスルーよりポン打が勝るとみる。
3 「一貫性」を持つべきなのは打牌に対してではなく、「この手牌、局面ならこれを切る」という「打牌基準」に対してです。「判断を変えるべき局面の変化があった」あるいは、「それまでの判断が誤りだったと気付いた」にもかかわらず、一貫した戦略に固執するのは、打牌基準に対して、「一貫性」のない選択とも言えます。
4 言葉というのは、文脈や語られた時代背景によっても意味合いが変わります。その意味合いが対話者の間で、書籍であれば著者と読者の間で共有出来ているのであれば問題ないですが、「避けては通れない議論」になってしまっている時点で、共有出来ているとは言い難いものがあります。
麻雀界における様々な「流れ」は、いずれも呼び替えることが容易なものばかりである以上、少なくとも戦術書のうえでは、「流れ」という代わりに他の言葉を宛てがうべきでしょう。
5 「状況による」。これも文脈や語られた時代背景を考慮するすべき言葉です。麻雀研究者が「状況による」という記述を批判してきた理由は、「科学する麻雀(講談社版)」の序章、「答え」を用意しない麻雀界で示されているように、まさに答えを出すことから逃げるために使われてきたという時代背景があるためです。
現代は以前に比べればだいぶ、「答え」が用意されるようになりました。そのうえで、「どのような状況によって、どのように答えが変わるのか」について考察することは有意義であり、判断の精度をより上げていくために必要なことです。
6 確かにASAPIN氏がプレーされていたようなシューティングゲームや音楽ゲームの世界は敷居が高く競技人口も限られており、なおかつ実力の差が出やすいゲームですので、天鳳六段〜八段クラスを上級者と呼ぶのは憚られたのかもしれませんが、麻雀は競技人口が多く、上位者同士の実力者もそれほど明確には出ないゲーム。上級者は「トップクラス」ではないのですから、天鳳六〜八段なら十分上級者と呼んでよいのではないでしょうか。
本記事に関するご紹介
デジタル麻雀は少ない定理を用いて麻雀を一般化し、簡略化された戦術を生み出そうとするものですが、ASAPINの考えはむしろその逆。一般化を拒み、カオスに近い麻雀というゲームに真摯に対峙し、わずかな優劣の差を個々のケースに応じて見出そうとします。本書を読めば、現代麻雀の最高峰の姿、最も進んだ麻雀とはどういうものなのか、分かるはずです。