(場ゾロ以外で)平和とチートイツ以外の4翻手は満貫。6翻手は跳満。8翻手は倍満…しかし三倍満は10翻ではなく11翻。10翻から三倍満とするルールもあるようですが、それはそれで規則的かと言われるとそうでもありません。10翻を「跳倍満(2.5倍満)」、12翻を三倍満にすれば、翻数×2000点(親は3000点)が得点になりますが、そのようなルールが採用されているという話は聞きません。
倍満→三倍満が3翻刻みなのに、三倍満→数え役満(四倍満)が2翻刻みなのも言われてみれば不思議です。数え役満は人和や流し満貫同様、言うなれば「極めてメジャーなローカルルール」。いわゆる競技ルールにおいては採用されません。私が初めて読んだ麻雀入門書には、三倍満(場ゾロ込みで13翻)の記述はありましたが、数え役満に関する記述はありませんでした。私はゲームボーイの「役満」(1991年発売)で数え役満の存在を知りましたが、ファミコン初の麻雀ゲームである「麻雀」(1983年発売)にも数え役満が存在しているので、どうやらこの時期には一般に浸透しているようです。
そもそも、役満というのは「役満貫」の略称。麻雀にリーチが導入される前、アルシアール麻雀では、最高点は子が2000点、親が3000点。これを満貫と呼んでいました。現行の麻雀は場ゾロの2翻が加わり点数が4倍になるので、満貫は子が8000点。親が12000点というわけです。
昭和27(1952)年。報知ルールの発表でリーチ麻雀が普及し、時代を経るにつれて点数計算がインフレ化していったことは以前お話しました。現在の点数計算の元になっているのは、昭和53(1978)年に制定された新報知ルール。最高点の役満を四倍満相当、通常役の最高点が三倍満で11翻(場ゾロ込みで13翻)以上と定められています。
それまでにどのような過程を経て、満貫より上の点数が出来たのかについて気になりますが。しかし、地域によって様々にルールが変化していったためなのか、明確な記録を見つけることは出来ませんでした。経緯を知っている方がいれば、是非ともお話をお聞きしたいものです。