第五章 読み
(1)最近は山読みを扱う戦術書が増えたこともあり、単なる見た目枚数だけでなく山に残っている枚数を考慮した打牌選択を意識する打ち手も増えたように見受けられますが、実はこちらで紹介されているような「山読み」については、既に「科学する麻雀」(講談社出版の方)でも取り上げられています。「おしえて!科学する麻雀」の方がメジャーになったこともありあまり浸透しなかった為、「科学する麻雀」では読みが軽視されているというイメージを持たれている方がいらっしゃるかもしれませんが、読みが軽視されたのでなく、従来の読みのセオリーの誤りを指摘し、それに変わる読みの技術論が提唱されているということを、今一度ご確認いただければ幸いです。
手出しで切られた牌は、どのような牌の組み合わせの切り出しだったかを推測するのが読みの基本です。手牌を構成する牌の組み合わせは、面子、雀頭、面子候補、浮き牌のいずれかなので、河に切られる牌は、浮き牌か、それ以外の牌の組み合わせの一部。序盤なら浮き牌以外から切られることは少ないので、必然的にその牌の周辺は持たれていない可能性が高いと言えます。このように、「特定の牌の組み合わせを持っていない」ことを読むのは比較的容易です。
逆に、「特定の牌の組み合わせを持っている」ことを読むのは困難で、高い精度で読めるケースは限定的です。「特定の牌の組み合わせを持っている」ことを読もうとするがあまり、当たらないことも多い仮定をいくつも置いて結論を導こうとすると、結果的にほとんど当たらない読みになってしまい役に立ちません。また、限定的には読めるケースもありますが、あくまで限定的でしかないものを一般化しようとすると、やはり誤った結論を導いてしまうことになります。従来言われてきたような読みのセオリーの誤りの原因はここにあると言えるのではないでしょうか。
また、テンパイ者が特定の面子候補を持っていると分かれば待ちが一点で絞れ、当たり牌以外は全部押すことができるように、「特定の牌の組み合わせを持っていない」より、「特定の牌の組み合わせを持っている」ことの方が打牌選択のうえで重要な情報になるということも、誤った結論が導かれてきた原因と言えそうです。知ることができれば重要であるからこそ、どうにしかして読み切りたいと思うがあまり、自分本位の仮定を置いて誤った推論をしてしまうことは、麻雀に限らず人にはよくあることです。私自身、相手の手牌を瞬時に一点で当てられたらどんなに面白いかという気持ちはあります。しかし、麻雀における読みというのは、そのような派手なものではなく、与えられた情報を認知し、地道な推論を重ねたうえで、分からないものは分からないと認め、必要に応じて打牌選択に反映させていくものです。難しいと思われる方も多いかもしれませんが、実は読みの一つ一つは、手作りの知識を押さえていれば、その裏返しとして理解可能なものばかりです。問題は、読みを入れたうえで、どの程度打牌選択に反映させるべきかにありますが、その辺りについては、次回以降レビューを進めていく中で考えていくことにしましょう。
本記事に関するご紹介
ツキ、流れ、勢いといったあいまいな表現を嫌ってきた著者の明晰な頭脳で、麻雀を論理的に限界まで語りつくされてます。