『天鳳本』では、私が「基礎さえ出来れば上に行ける」、福地氏と天鳳位諸氏が、「天鳳独自の技術が要る」と、あたかも意見が対立しているように書かれてあります。しかし、本書の戦術記事をご覧になられたのであれば、両者の考え方にさほど違いがあるわけではないと感じられた方も多いと思います。
「麻雀に正解はあるか」の回でも申しましたが、この手の意見の相違は、価値観というよりはむしろ立ち位置の違いから来るものです。麻雀は様々な打ち手が様々な環境でプレイしているので、実は価値観があまり変わらないにも関わらず、結論だけみれば真逆のことを言っているように聞こえることも珍しくありません。
本書を制作するにあたり、『天鳳本』と銘打ってある以上、天鳳ルールとそれ以外のルールで判断が変わるケースはもちろん取り上げるつもりでいましたが、まずは、「上卓編」「特上編」「鳳凰編」の3章に分けて戦術記事を書くことが決まりました。
さて、「上卓編」、つまりは上級卓→特上卓への昇格を目指す人向けの講座で、「天鳳独自の技術」を取り上げることが、果たして適切であると言えるでしょうか。少なくとも私はそう考えません。何故なら上級卓で苦戦している人は、ルールによらず結果に大きな影響を与える重要な局面で正着を打てていない可能性が高く、まずはそこを克服することこそが重要だからです。
では、「特上編」、特上卓→鳳凰卓への昇格を目指す人向けならどうでしょうか。これなら、天鳳ルールであることが判断に大きく影響するケースでは取り上げるべきでしょう。よって私も、「オーラスの押し引き判断」について、天鳳ルールと雀荘ルールで判断が変わるケースを取り上げました。
しかし、オーラスは極めて重要とはいえ、半荘戦であれば八回に一回相当。オーラス以外の戦術も一通り取り上げる必要があるので、全体でみればどうしても独自色は薄いものになります。
一方、天鳳位が天鳳関連の戦術を書くとなれば、自身が最も数多くの対局をこなし、苦労を積み重ねてきた鳳凰卓→天鳳位の話が中心になます。そこで勝ち残るためには、「天鳳ルールに合わせることが必要」という結論になるのも至極当然ではないでしょうか。
私も「鳳凰編」では、先制カンチャン役無しドラ1テンパイをリーチしない問題や、テンパイからラス目のダマテンメンチンを警戒して降りる問題など、いかにも「天鳳ならでは」の選択を多く出題しました。しかし、これについても、「天鳳独自の技術」とまでは思っておりません。何故なら同じ局面が雀荘戦で生じたとしても、おそらく結論は変わらないですし、仮に変わるとしても、天鳳以外では不要な判断とまでは言えないためです。独自の技術が必要というより、ルールによって技術の重要度が変わると言った方が適切ではないでしょうか。
「麻雀はルールの違いで別ゲーになるか」という話もよく話題に上りますが、また後日考察してみたいと思います。