今年から麻雀講座、「楽しく勝つための現代麻雀技術論」を始めます。コンセプトは、「正しい打ち方のために、楽しい打ち方のために。」失礼を承知で申しますが、私は、「AであるけどBでもある」ものを、Bであることを強調するあまり、「AではなくBである」と書かれることを快く思いません。
例外は「ラーメン二郎はラーメンではなく二郎という食べ物」。ラーメン二郎の愛好家がこの言葉を発したとしても、文字通りの意味で「二郎はラーメンではない」と誤解しているということはありません。発言者と視聴者の間で、「AではなくB」構文の意味合いが共有されているのであれば、特段問題ではないでしょう。私もそういうところにまで突っ込むほど野暮ではありません。
しかし少なくとも麻雀界では、麻雀愛好家が「正しい打ち方などない」「正しさにこだわるのはつまらない」という旨の発言をしているのを多々見受けます。発話者の真意が「AであるけどBでもある」であったとしても、文字通り「Aではない」と解釈されてしまう恐れがある以上、安易にこの表現を用いるわけにはいきません。
「正しい打ち方」と「楽しい打ち方」。相反するものと思われがちですが、両者は両立し得ます。否、私であれば、どちらかを選ぶとしても、結局同じ道を辿るのが一番の近道だとすら思っています。
「今より麻雀が強くなりたい」。もしそう思っているのであればやるべきことは、新しい打ち方を学ぶ、あるいは、自分が正しいと思っている打ち方がその通り出来ているかを再度確認することに限ります。麻雀の技術介入要素は、自分の選択しかないからです。
では「今より麻雀を楽しみたい」であればどうでしょう。新しい打ち方を試してみるために、どんな打ち方があるのかを学ぶ。あるいは、自分が楽しむための打ち方が出来ているかを再度確認すること…そうです。楽しむことが目的だったらそれほど徹底する必要がないというだけで、どちらとも通る道は本来同じ。実践するかどうかは別として、「楽しい打ち方」を目指すのであれば、その過程で、「正しい打ち方」が何たるかを知っておくに越したことはありません。
逆に「正しい打ち方にこだわりたい」のであっても、自分が想定しない選択をあり得ないと切り捨ててしまうのはもったいないこと。たとえその選択が損だとしても、どの程度損であるかを把握できていれば、局面に応じた取捨選択が可能になり、より打牌の精度を高めることができるでしょう。
「楽しく勝つため」と書いておきながらだいぶ堅苦しい話になってしまいましたが、勝ちたい人も楽しみたい人も、同じ麻雀道を歩んでいるということを、お互いに確認できれば幸いです。