第五章 読み
(4)「科学する麻雀」で、「裏スジは危険ではない」ということが示され、従来のセオリーが覆されましたが、これは、「一般論として、裏スジ全体の放銃率は、裏スジ以外の無スジと大差無い」という意味であることに注意が必要です。
これに対し、「序盤の手出し牌に関しては裏スジが危険である」という反論も寄せられましたが、これについても、「裏スジ以外の無スジと比べて危険とは言えない」ことが示されています。
本で示されていますように、「序盤の裏スジと、テンパイに近い段階の裏スジ」との比較であれば、序盤ほど切られた牌が、面子を構成しにくい浮き牌である可能性が高いので、序盤の裏スジの方が危険であると言えます。ただし、245とある場合は2が早めに切り出されやすいことは言えるので36が待ちとして残りやすいことは言えても、3については36待ち以外には当たりにくくなるので、序盤の裏スジ全体が、裏スジ以外の無スジと比べて危険になるとは言えないのです。
序盤に5が切られている場合の19牌については、端牌なので元々の危険度が比較的低く、悪形待ちに当たりにくくなることもないので、5が切られてない場合に比べて明確に危険になると言えます。(1)でも申しましたが、限定的にしか成り立たないものを、一般化しようとしたところに問題点があったわけです。
(5)「宣言牌のまたぎスジは危険」というのも、限定的にしか成り立たないものを、一般化しようとして誤りになってしまった読みのセオリーの一つです。最近言われている、「宣言牌の裏スジは安全」というのも、「宣言牌のまたぎスジは危険」の裏返しと言えます。
無スジ全体から見れば確かに安全と言える部類ではありますが、「安全」というのは降りている時に安牌を選ぶ際や、降り本線ではあるが安牌を切るならシャンテンを維持してアガリやテンパイを目指す場合に考える話なので、セオリーとして用いるには例外が多過ぎるわけです。
全体的には比較的通りやすく、当たるとしたら限定的なケースのみであっても、そもそも待ち牌が絞れて当たり得る牌が限られている場合は、本当に限定的なケースである可能性も珍しくなくなります。残っているスジがどの程度あるかも意識しておかないと、読みを過信して押し過ぎてしまいがちなので注意が必要です。
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ツキ、流れ、勢いといったあいまいな表現を嫌ってきた著者の明晰な頭脳で、麻雀を論理的に限界まで語りつくされてます。