第2章 謎の強さを発揮するベテランプロと身体知
その26でも取り上げましたが、「謎の強さ」の大半は、ハンデでしかない「こだわり」を勝因と思い込んでいるに過ぎません。上手い人は縛りプレイしてもそれなりに勝てるのに対して、下手な人は「判断」が間違っているだけでなく、「認知」の段階で見落としが多いものです。むしろ、「認知」の段階でつまらないミスが多いので強いという印象が無いが、意外にも結果を残している打ち手の方が判断基準は正しい可能性が高いと言えるかもしれません。
私が本当に強いと思った打ち手は、『現代麻雀技術論実戦編』のコラムで取り上げた三名ですが、御三方は「枠組み」から外れた選択もしばしば見受けられました。しかし、それは決して言葉にできない「身体知」の類のものではありません。御三方とも、自分の打牌理由を言語化することに長けたプレイヤーで、説明を聞けばいずれも納得のいくものでした。しかし、実戦の限られた時間でその思考を再現できるとはとても思えず、結果として現れる戦績以上の実力差を思い知らされたものです。
もし、そういった説明を聞く機会が無ければ、謎の強さは謎のままで、身体知はおろか、「抽選の変化を予測、操作できる人がいる」という類の「流れ論」に陥っていたかもしれません。
将棋の強さも言葉で説明するのは難しいですが、将棋は抽選に相当する運の要素は(対戦者の当たり運などを除けば)無いので、実力が伴えば指し手の意図を理解することは可能です。しかしながら麻雀はそうは行きません。打牌が正着と言えるかどうかを検証する仕組みと、検証内容を説明する言語(もちろん数字も言語の一種です)が必要です。
その10でも取り上げましたが、「専門用語」の定義が明確になっている対戦型ゲームでは、トッププレイヤー同士が言語という形で認識を共有しているので、「強さ」を言葉で説明する土壌が備わっているように見受けられます。運要素があるゲームであっても、抽選の変化を予測できるという意味での「流れ論」を聞くことも(少なくとも強者の戦術講座という形では)ほとんどありません。
しかし、繰り返しになりますが、そういった他の対戦型ゲームの巧者が、麻雀になると途端に「流れ論者」に陥るケースは珍しくありません。
その3でMTGの話をしましたが、MTGの日本選手権で優勝したことのあるプレイヤーが、麻雀を覚えたいけれどお勧めの戦術書はないかと日記で書かれていたことがありました。コメント欄の中には『勝つための現代麻雀技術論』もあって驚いたのですが、それとは別に日記の主とコメントを寄越した友人(彼もMTGの大会で上位入賞経験があるプレイヤーです)との間で「流れ」論争が起きていました。
日記の主は凸氏が言うところの、「流れって何」のおばちゃんと同じ状態だったので、友人の言うところの「流れ論」はおかしいのではと反論するのですが、麻雀経験が長いと思われる友人は頑に意見を曲げようとはしませんでした。
麻雀の「流れ論」を信じている、別の対戦型ゲームの巧者の話を何度となくしてきましたが、逆に麻雀の知識が無い人に「流れ」を否定する話をしても、納得できないという方は私の経験の中では誰一人としていませんでした。しかし、もしその人が麻雀に興味を持って趣味の一つとして麻雀を始めるようになった時に、「流れ論者」にならないようにできるかと言われると、正直私には全く自信がありません。
麻雀には言葉で説明できないような強さがあるのではなく、説明するための言葉が麻雀界に足りなかったのではないでしょうか。人は言葉で認識する生物ですから、言葉にしてこそ認識できる概念もあります。私が麻雀用語の統一を切に望むのはこのためです。
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