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麻雀の歴史を深掘り!そのルーツや日本での歩みを紐解く

麻雀の歴史を深掘り!そのルーツや日本での歩みを紐解く

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多くの新規プレイヤーを集めたMリーグ、健康麻雀の流行など、昨今、麻雀は高度な頭脳ゲームとしてもさらに人気を博している。老若男女を問わず多くの人びとを魅了するゲーム、麻雀の起源とはどのようなものなのか。また、いかにして日本に伝わり、プロリーグ戦が注目されるような競技にまで育っていったのか。この記事では麻雀の起源や歴史、日本における変遷や独自のルールなどをご紹介しよう。

麻雀の起源と歴史

麻雀のルールを知らない方でも麻雀といえば中国、というイメージがあるのではないだろうか。そのイメージ通り麻雀の起源は中国であるが、いつごろ成立してどのように現在の麻雀に進化したのだろうか。ここでは、そのルーツをご紹介しよう。

中国で誕生

麻雀のルーツとなったのは、名前も麻雀の名称と関わりの深い「馬吊(マーチャオ)」というゲームだといわれている。馬吊は牌や札の組み合わせによる紙牌ゲームで明の時代(1368-1644)の中国で生まれたものだが、紙牌自体の起源は唐の時代(618~907)の「葉子戯(エーツーシー)」まで遡るので、麻雀も真の起源から数えれば千年以上の歴史を有するといえるだろう。

この紙牌と、こちらも古代から親しまれていた骨牌(クーパイ)と呼ばれるゲームが合わさり、今日の麻雀の原形になるものができたとされる。当初は牌の数やルールが定まっておらず混乱も生じたが、牌を整理して役や点数がきちんと取り決められたのが19世紀半ば頃、今から約160年ほど前だといわれている。

ちなみに麻雀の数牌は萬子はお金の単位、筒子は穴あき銭、索子はその穴あき銭に紐を通して束にしたものがモチーフとなっている。

アメリカから始まった世界での麻雀ブーム

1893年に東アジアの遊戯を研究していた人類学者であるスチュアート・キューリン氏が麻雀を紹介した論文を発表したのが、アメリカにおける麻雀史の始まりだ。それから26年後、1919年に初めてアメリカで麻雀牌が販売され、麻雀ブームが巻き起こる。その麻雀ブームの火付け役となったのは「アメリカ麻雀の父」とも称される商社マンのジョセフ・パーク・バブコック氏だ。仕事で上海に赴任していたバブコック氏は麻雀の面白さに魅了され、欧米諸国への普及を志した。漢字の読めない欧米人に向けて、算用数字と英語イニシャルを入れたインデックス付きの麻雀牌の製造販売やルールブックを刊行したバブコック氏。時代が空前の好景気だったことも相まって、麻雀はアメリカで爆発的にヒットすることとなった。ヨーロッパ諸国でもほとんど同じ頃に麻雀が伝えられ、特に盛んだったイギリスの旧植民地を中心に世界中で広がりを見せ、多くの国で人々の心を躍らせた。

日本への伝来と変遷

日本に麻雀が伝わったのはアメリカ麻雀史の始まりよりも一足遅く、20世紀初頭のことだった。時代は明治時代の終わり頃で、同時期にあの夏目漱石が麻雀について朝日新聞に記している。当時の麻雀の伝来からどのような経緯を経て現在の麻雀につながったのか、その道のりをたどってみよう。

麻雀、日本上陸

明治42年(1909年)、中国の四川省で英語教師をしていた名川彦作氏が帰国した際に麻雀牌を持ち帰る。これが日本に現存する最古の麻雀牌といわれており、かつては麻雀博物館に展示されていた。麻雀牌が初めて日本にやってきたのと同じ年、夏目漱石が朝日新聞で連載していた「満韓ところゞ」において「中国で麻雀というものを見た」と書き記したことも記録として残っている。

大正の麻雀ブーム

日本に麻雀が伝わったのは明治の終わりだったが、当時麻雀に熱中したのは文人や上流階級の人々が中心だった。麻雀が大衆にまで浸透したのは、大正時代が終わりに近付いた頃のことだ。大正13年(1924年)に麻雀の存在やそのルールが雑誌や新聞で紹介され、日本で初めての麻雀手引き書「支那骨牌・麻雀」も出版されるなど多くの人が麻雀を知ることとなった。「東京麻雀會」や「南々倶楽部」といった麻雀愛好者の団体や同好会などが東京のみならず鎌倉や大阪でも次々と設立され、本格的な流行の兆しを見せた。

翌大正14年、菊地寛の小説「第二の接吻」に麻雀シーンが出てきたり、当時「文藝春秋」で人気だった久米正雄や広津和郎などの文士らも麻雀を記事にしたりと、大衆が麻雀というワードや、その様子を書いたものを目にする機会が増えた。麻雀はその魅力に夢中になった文人たちによって活字を媒体にして世界を広げていくこととなったのだ。

昭和の麻雀ブーム

大正に火が付いた麻雀ブームは、昭和に入って勢いを増していく。昭和2年(1927年)、銀座に日本で初めての貸卓麻雀荘「南山荘」が開業し、大繁盛を見せる。それからすさまじい勢いで麻雀荘は増えていき、2年後の昭和4年には東京だけでも1500軒を数えるほどになった。そうして増え続ける麻雀荘に対して新設禁止令をはじめとした取り締まりが強化されたことに加え、戦争の影響もあり、麻雀人気は一時は下火になってしまう。

しかし、終戦を迎えた後も人々は麻雀の魅力を忘れておらず、そのブームは再燃することとなる。リーチやドラといった日本独自のルールが追加されたのもこの頃だ。現在親しまれている麻雀のルールがおおよそ固まった昭和44年(1969年)、阿佐田哲也氏によって「麻雀放浪記」が連載されると麻雀は第二次麻雀ブームと呼ばれる盛り上がりを見せる。テレビ番組「11PM」でも麻雀が放映され、多くの人々が小説でもブラウン管でも麻雀に夢中になり、昭和47年には麻雀専門雑誌「近代麻雀」が創刊されるに至る。この時代に麻雀は人々の楽しみとして広く浸透し、タイトル戦の開催やプロ団体の設立など、今日の麻雀界の礎となるものができあがっていった。

日本独自のルール

戦後になると戦地から帰郷した人びとからの影響もあり、途中リーチ(現在のリーチ)やドラなどの新しい要素が追加されることになる。当時は様々なルールが混在したが、昭和27年(1952年)天野大三氏が報知新聞において現在の麻雀の礎となるルールを定めた形となった。日本でしか見られない主なルールは以下の通り。

  • リーチ
  • ドラ(裏ドラ・赤ドラ)
  • フリテン
  • 場ゾロ
  • 1翻しばり
  • ノーテン罰符
  • 放銃者一人払い

以前は今でいうダブルリーチがリーチと呼ばれていたが、戦後に途中リーチをかけることが流行り、それをリーチと呼ぶ現在の形となったことでダブルリーチという概念が生まれる。

ドラは欧米麻雀で三元牌をドラゴンと称することが由来となって名付けられた。今では広く親しまれている赤ドラは、昭和39年の東京オリンピックを記念し大阪の麻雀牌製造メーカー「ミズノ丸一」によって作られたのが始まりだ。

麻雀のルールは様々な障壁を乗り越えて整備され、より高度に面白く進化を遂げてきた。時代を超えて深められてきた麻雀は現在も多くの人を魅了し続けている。

日本における麻雀史に名を残す人物

圧倒的な強さを誇っただけでなく麻雀の普及に尽力した、今日の日本の麻雀界を語る上で欠かせない麻雀エンターテインメントグループ「麻雀新撰組」の3人をご紹介しよう。

阿佐田哲也

阿佐田哲也氏(1929年 - 1989年)は大ヒット麻雀小説「麻雀放浪記」の著者であり、麻雀を文化として普及させた功労者の一人だ。「麻雀新撰組」を結成し、メディア出演などを通じて麻雀ブームを牽引した。その強さゆえに「雀聖」として麻雀界に名を残しており、麻雀漫画「哲也ー雀聖と呼ばれた男」のモデルにもなっている。

長く愛される名作「麻雀放浪記」は後に映画化も果たしている。

小島武夫

小島武夫氏(1936年 - 2018年)は日本プロ麻雀連盟の初代会長を務めたプロ雀士で、豪快な生き方と圧倒的な強さで知られた伝説の雀士だ。どの競技においても「ミスター◯◯」と呼ばれる第一人者が存在するものだが、麻雀界で「ミスター麻雀」の称号を得たのが小島氏である。「魅せる麻雀」を信条に、長きにわたって見る者を魅了する麻雀を打ち続けてきた小島氏。明るい人柄も人気を集め、麻雀ファンにも愛された人物だ。

モンド21麻雀プロリーグ第3回名人戦で魅せた九蓮宝燈は、ほとんど無駄ツモなしの8巡目でツモアガりしており「あれほど鮮やかな役満はない」「ツモ順も全てが完璧」とファンの心に焼き付いている。

古川凱章

古川凱章氏(1938年 - 2016年)は麻雀プロ団体、101競技連盟の創設者であり麻雀界のパイオニアとも呼ばれるプロ雀士だ。体勢論という戦術や順位を基準とした評価方法など、今日の競技麻雀に多大な影響を与える概念を作りあげてきた。雑誌「近代麻雀」の編集長を務めていた時代もあり、麻雀漫画の原作者としての顔も持つ。

プロ麻雀団体設立

現在、日本には麻雀のプロ団体が多数存在する。1976年、竹書房が主催していた最高位戦というリーグ戦があり、それに参加していた人物らが後に団体を設立したのが始まりだ。ここからはMリーグの参加資格にもなっている5つの麻雀プロ団体について簡単に紹介しよう。

日本プロ麻雀連盟

日本プロ麻雀連盟は1981年に設立され、正式な団体としては最も古く、所属人数も多い麻雀プロ団体だ。初代会長・小島武夫氏の「囲碁将棋に肩を並べられるくらい麻雀の社会的な認知度を高める」という志は現会長・森山茂和にも受け継がれており、全国の支部で麻雀教室を開催したり、YouTubeの配信をしたりと麻雀の普及に努めている。二階堂姉妹や滝沢和典をはじめとした有名プロが多数在籍。

最高位戦日本プロ麻雀協会

最高位戦日本プロ麻雀協会は団体としての設立は1985年だが、その歩みは前身となったタイトル戦「最高位戦」を含めれば1976年からとなり、麻雀プロ団体の中で最も長い歴史を持つ。麻雀の普及や技術向上だけでなく、アマチュアの方々との交流なども大切にしている団体だ。新津潔が代表を務め、近藤誠一プロや村上淳プロなどが在籍している。

日本プロ麻雀協会

日本プロ麻雀協会は、プロテストに一般教養問題を採用するなどプロ雀士の品格も重要視した麻雀プロ団体だ。2001年に設立され、五十嵐毅が代表を務めている。チャリティーイベントなどにも力を入れており、松本吉弘渋川難波など若く才能あふれる雀士が多数所属している。

RMU

RMUは2007年に設立され、多井隆晴プロが代表を務める比較的新しい麻雀プロ団体だ。競技としての麻雀を確立し、競技者の育成や麻雀プロの社会的・経済的地位を獲得することを目標に掲げている。RMUという団体名は「Real Mahjong Unit」を略したもので、真の麻雀プロを排出すべく精力的に活動を行っている。松ヶ瀬隆弥や阿部孝則などが在籍。

麻将連合μ

麻将連合μは井出洋介によって1997年に設立された少数精鋭の麻雀プロ団体だ。「μ」は突然変異体を意味する「ミュータント」に由来する。麻雀を最高の室内ゲームとして、競技として、文化として愛するという理念を掲げ、一般愛好者の模範となる真のプロ競技者の育成を目指している。現在は忍田幸夫が代表を務めており、小林剛などが所属している。

Mリーグの発足・競技麻雀としての未来

2018年、以下の4つの理念を掲げて麻雀のプロリーグ、Mリーグが発足された。

  • 高度な頭脳スポーツとしての麻雀への認知の確立
  • 麻雀に対する負のイメージの払拭
  • 麻雀による世代間交流の促進と社会発展への貢献
  • 麻雀を通じた国際交流親善への寄与

それまで「プロ」となっても年俸などがあるわけではなく、メディア出演や副業によって報酬を得るのが主であった麻雀プロの世界だが、Mリーガーの報酬には年俸制が採用された。麻雀の認知度が高まり、プロを目指す者や競技人口の増加にも大きな影響を与えた、麻雀業界における革命的な出来事である。Mリーグの目標は、麻雀のオリンピック正式種目化だ。全世界の人々が見守る中で、麻雀世界一の選手が決まる。そんな未来へ向けてMリーグは歩みを続けていく。

歴史を知って麻雀の未来を見届けよう

本記事では麻雀の起源や世界への広がり、日本への伝来やその変遷を解説した。麻雀が様々な進化を遂げて今日の姿となったことがお分かりいただけただろう。麻雀は中国で誕生してから世界中の人の心をつかみ、今や高度な頭脳ゲームとしてオリンピック種目化を目指すほどに成長を遂げた。Mリーグの次なるシーズンの開幕にも、多くの注目が集まっている。麻雀の目指すところ、その未来をこの目で見届けて行こう。

この記事のライター

麻雀ウォッチ編集部
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