「ゲーセン行かない?」。「ゲーセン」とは「ゲームセンター」の略。ゲーム業界では「アミューズメント施設」と呼称される。言葉を略する多くのケースは、使われる頻度が高いからである。中高生をはじめ、昨今はシニア世代からも注目されているゲームセンター。そこに数多くの機種を供給している株式会社セガ・インタラクティブの高畑大輔氏に仕事論を聞いた。
高畑大輔(たかはた・だいすけ)プロフィール
1981年、北海道生まれ。A型、水瓶座。株式会社セガ・インタラクティブ第二研究開発本部アシスタントマネージャー。2015年9月現在はアプリ版セガNET麻雀〈MJ〉ディレクターを担当。好きな役は三色同順。必殺技はツモ切り追っかけリーチと親リーチ同巡のツモ300/500(笑)
優駿を生み出した大地で育つ
ハイセイコー、トウカイテイオー、ナリタブライアン。数々の優駿を生み出してきた北海道新冠町。競走馬が育つ雄大な環境で高畑さんは育った。
「ファミコンぐらいしかやることがなかったんですよ(笑)」
高畑さんの父親は、サラブレッドの生産を行う北海道新冠町にある牧場で牧場長として勤務していた。その敷地内に住んでいた高畑さんは、起伏のある片道4キロの距離にある小学校まで自転車で通っていた。道は舗装されておらず街灯もない。
「学校が終わるとまっすぐ帰宅してました。友達の家に行ったら真っ暗で帰れなくなってしまうんで(笑)。帰宅したら父親に買ってもらったファミコンに没頭し、8時過ぎには寝てました。ファミコン用のマージャンソフトもあったんですが、いまいちルールもわからず、あまりやりませんでしたね」
馬が最優先の生活環境。競走馬は一頭何千万もするような世界。とにかく大きな音を立てることはご法度だったという。
「たとえば夏に花火なんて言語道断。馬が驚いて、万が一何か起きたら大変ですんで」
衝撃的だった修学旅行
高畑さんの経歴はおもしろい。京都ジョイポリスでアルバイト勤務後、株式会社セガアミューズメント関西(現・株式会社セガエ ンタテイメント)入社。このきっかけは、高校時代の修学旅行にあった。
「高校2年のとき、修学旅行で京都へ。自由行動で行った京都駅伊勢丹10階にあった〈京都ジョイポリス〉に衝撃を受けました」
京都ジョイポリスとは、株式会社セガアミューズメント関西(現・株式会社セガエンタテインメント)が運営するアミューズメントテーマパークのことである。
「すごいのひと言では言い表せない、ここだという直感。ワンフロアしかないんですが、当時は日本のゲームセンターベスト5に入る規模。きらびやかで、私にとってはまさにアミューズメントパークでした。それからはどうやって親を説得したら京都に行けるのか。そればかり考えていました(笑)」
高校卒業後の2001年。京都でひとり暮らしを始めた高畑さん。念願叶って京都ジョイポリスでアルバイトを始めた。
「憧れの京都。毎日が刺激的でした。古いものと新しいものが同居している土地柄も自分に合ってました。お客さまは学生が中心。アトラクションのアテンド、競馬ゲームの実況、関西にあるお店同士のゲーム大会MC等、接客から修理までなんでもやりました。なかでも「頭文字D ARCADESTAGE」という車のゲームを使った大会を企画したら、お客さまがいっぱい参加してくれて、ものすごく盛り上がりました。私も実況したりして、ホント楽しかったですね。ただこの京都ジョイポリス。2002年にテナントとの契約期間が満期となり、閉館になってしまうんです。心にぽっかり穴が空いた感じでした」
奈良の系列店に異動した後、大阪府堺市にある「セガワールド福田」の副店長を担当。副店長としての最初の仕事はアーケード版のセガNET麻雀〈MJ〉の設置作業だったという。
「当時は〈MJ〉〈麻雀格闘技倶楽部〉等、ゲームセンターにアーケード版オンライン対戦ゲームが進出してきた時代でした。私もプレイしましたが、戦術をまるで理解していないので、河も見ずに全局全ツッパ(笑)。振り込みまくるので、成績はボロボロでしたね」
「そんなある日、たまたま社内イントラネット(企業内ネットワーク)に、開発スタッフの公募が出ていたのを見たんです。もともとゲームは好き。自分で遊んでもいて、働いてもいて、人にやってもらう側でもあった。しかしゲームを開発するという発想だけは、それまでまったくありませんでした。しかも公募していたのが〈スターホース2〉という競馬のメダルゲームだったんです。そのゲームは競走馬を育てて、G1レースに勝つという内容。実家が実家なもんで、競走馬の知識には自信がありました。また「スターホース1」も京都のジョイポリスにあり、修理経験もあったので、仕組みもよくわかっていたんです。開発もおもしろいかもしれないと思い、この公募に応募。株式会社セガ・エンタープライゼス(現・セガ・ゲームス)の社員になりました」
開発という立場として、東京に行くことになった高畑さん。新しい門出を祝福してくれたのは、なんとお客さまだったという。
「京都ジョイポリス時代、「頭文字D ARCADESTAGE」のゲーム大会に参加してくれていたお客さま達が、私の送別会をやってくれたんです。めちゃくちゃ嬉しかったですね。京都ジョイポリスのスタッフとは今でも繋がっていて、年に一度集まっています」
マージャン熱が復活
「〈スターホース2〉の開発現場は、猫の手も借りたい状態でした。1台2000万円以上する大型機械なので、関わっている人間はたくさんいました。そんな大所帯だったので、マージャン好きも多い(笑)。〈MJ〉導入当時、あまりにも勝てなくてマージャンから離れていたのですが、この部署に来てから復活しました。なぜか会社の倉庫にマージャン卓がありまして、そこでよくやっていましたね。今考えれば、マナーもへったくれもありません。会社の人たちとは東風戦をやっていたのですが、スピードにまったくついていけませんでした。しかもメンタルも弱いのでまたボロ負け。もうやらない!と宣言しては、懲りずに打ち続けるそんなマージャンでした」
それでもなんとか強くなろうと考えた高畑さんは、フリー雀荘にも通い始める。しかしなかなか勝つことが出来ず、またマージャンから離れた。
「入社9年目、32歳のとき。第一研究開発本部から第二研究開発本部へ異動しました。そこで担当してみないかと言われた機種が〈MJ〉だったんです。ただそのときもマージャンにおもしろさを感じていたわけでもなく、正直やってみようかなぐらいな感じでした」
ちょうどその頃、竹書房から〈MJ〉の実況解説依頼が舞い込んでくる。
「〈MJ〉で〈アカギCUP〉というイベントをやっていたのですが、そのイベントをニコ生配信したいので実況解説ほしいという依頼でした。開発チーム内で好き好んで人前に出る人はいなかったので、私に白羽の矢が立ったんです。京都ジョイポリス時代に実況はよくやっていたので、私でよければと引き受けました」
これを機に、高畑さんは〈MJ〉の対局などマージャン関係のニコ生番組に数多く出演するようになっていく。
「ニコ生に出るようになってから、声優の植田佳奈さんが部長を務める〈二次元業界麻雀部〉にも参加させて頂くようになり、マージャンを通じて人脈が広がりました」
先般〈MJ〉で大好評だった〈サイバーエージェントCUP〉もマージャン人脈から派生したものだという。
「〈サイバーエージェントCUP〉は、飲み会から始まっているんです(笑)。2014年に行われた麻雀最強戦エキシビジョンマッチ〈日本トップ経営者頂上決戦〉の収録現場に行きまして。収録後の飲み会でサイバーエージェントの藤田社長に挨拶させて頂いたんです。藤田社長が〈MJ〉をやっているというのは知っていたので、それじゃあ藤田社長の実写顔入りキャラクターを作ってイベントやりましょう!みたいな」
〈MJ〉の提携先である日本プロ麻雀協会のリーグ戦を観戦したり、プロ団体が主催する大会にも出場するようになった高畑さん。東風戦ではなく東南戦で打つようになって麻雀観が変わったという。
「東南戦は東風戦に比べて、理不尽さが少ないのが自分の性格に合っていたんだと思います(笑)。プロの対局では、キレる人なんてもちろんいないわけで、メンタルの重要性にも気がつきまして。やっとですが(笑)」
現在はアプリ版〈MJ〉のディレクターを担当。〈アカギCUP〉や〈咲-Saki-CUP〉〈サミーCUP〉〈サイバーエージェントCUP〉など、アプリ版とアーケード版をまとめてのコラボイベントのディレクションも担当している。
「ゲーム業界は、スマホ向けのゲームもすでに過渡期。これからはどんどん精査されてくると思います。したがって、新しいものを開発しつつ、今あるものの使用率をいかに上げられるか。これが重要になってきます」
〈MJ〉をプレイしている層は20代後半〜30代前半が中心だが、他のゲームと比べるとマージャンゲームは年齢層も幅広い。
「ゲームセンターは減少傾向にあるので、アーケードゲーム自体は売り上げが落ちています。スマホゲームはコンテンツ競争が激しい。マージャンゲームとスマホゲームとの相性はまだまだ難しいのが現状。今後は何かしら繫がりがあるところをどう結びつけていくのかも課題です」
この業界を目指す人へ
「ゲームのおもしろさは、論理ではなく体感です。だから新卒で入ってくる人には、とにかくいっぱい遊んでほしい。そして遊んでくれる人の喜ぶ顔を思い浮かべながら開発できる人になってほしいですね」
「私は社内でも業界内でも特異なケースだと思います。今こうして仕事が出来るのは、ゲームセンターをはじめ実際に使用してくれているお店の人との繫がりのおかげ。したがって開発という立場から、現場に還元していくことが自分の使命かなと思っています」
好きな映画は
「〈007〉〈ミッションインポッシブル〉が好きですね。ドカンドカンみたいな」
高畑さんにとってマージャンとは?
「仕事であり、人脈も広がる最適なコミュニケーションツールだと思っています。マージャンのおかげでキレなくもなりましたし(笑)」
好きな言葉は
「世の中カネとコネ。神戸にある牛タン専門店の店長の言葉なんですが。カネは困らない程度にあればいいとして、コネはマイナスイメージではなく、人脈という意味です」
インタビューを終えて
売れたからいいわけではない。マージャンで言えば、アガればいいわけではない。
どこの職場でも開発と営業の目標が異なるケースはままある。それぞれの目線があり、向き合っている人が異なるので、その誤差は生まれがちである。しかしその両方がわかる人がいれば、同じ目線で目標を捉えることができる。高畑さんの話を聞きながら、刑事ドラマ「踊る大捜査線」の人気キャラクター、和久平八郎(いかりや長介)を思い出した。和久さんは、本庁の意図を汲み取りながら、とにかく現場を大切にした。そんな刑事だった。
◎セガNET麻雀MJオフィシャルサイト
http://pl.sega-mj.com
文責:福山純生(雀聖アワー) 写真:河下太郎(麻雀ウオッチ)
マージャンで生きる人たち back number
- 第1回 株式会社ウインライト 代表取締役社長 藤本勝寛
あらゆる挑戦は、すべて〝妄想〟から始まる - 第2回 株式会社F・R・C代表取締役 香宗我部真
<作業>が<仕事>に変わった先にあるもの - 第3回 ターナージャパン株式会社 制作部 プロデューサー 上島大右
好きなことを仕事にしようと考えるより、自分の仕事を好きになる努力するほうがいい - 第4回 フリーアナウンサー 土屋和彦
しゃべるのが仕事。しゃべることを取材することも仕事 - 第5回 株式会社セガ・インタラクティブ セガNET麻雀MJディレクター 高畑大輔
「マージャンのおかげでキレなくなりました(笑)」 - 第6回 RTD株式会社 代表取締役 張敏賢
「目指すは、新しいマージャン文化の創造」 - 第7回 漫画家 片山まさゆき
「盆面〈ぼんづら〉がいい人生。仕事も麻雀も。そうありたい」 - 第8回 株式会社アルバン 専務取締役 船越千幸
「奪い合うのではなく、増えるきっかけを生み出す」 - 第9回 健康麻将ガラパゴス創業者 田島智裕
「参加者に喜ばれ、なおかつ社会的意義のあることをやり続けたい」 - 第10回 株式会社日本アミューズメントサービス代表 高橋常幸
「希望が持てる業界を構築し、麻雀で社会を変えたい」 - 第11回 《More》プロデューサー 菊池伸城
「躊躇なく一気にやることで、世界は開ける」 - 第12回 麻雀キャスター 小林未沙
「想像力をどれだけ膨らませられるかが勝負です」 - 第13回 麻雀評論家 梶本琢程
「面白かったら続けたらいい。うまくいかなかったら次を考えたらいい」 - 第14回 麻雀AI開発者 水上直紀
「常識を疑い、固定概念を崩したい。強くなるために」 - 第15回 麻雀観戦記者 鈴木聡一郎
「ニュースがライバル。そう思って書いてます」 - 第16回 株式会社サイバーエージェント AbemaTVカンパニー編成部プロデューサー 塚本泰隆
「決断したことに後悔はしない。麻雀から学んだ思考です」 - 第17回 劇画原作者 来賀友志
「麻雀劇画の基本は〝負けの美学〟だと思っています」 - 第18回 株式会社シグナルトーク代表取締役 栢孝文
「始める、続ける、大きく育てる。愛する麻雀の“弱点”を補うために」 - 第19回 フリーライター 福地誠
「まだ本になったことがない新テーマの本を作りたい」 - 第20回 声優 小山剛志
「もがき、あがき、考える日々。一体いつまで続けられるのか」 - 第21回 映画監督 小沼雄一
「大変だけど、やってみる」 - 第22回 麻雀企画集団 バビロン総帥 馬場裕一
「プロは『人が喜ぶ』」 - 第23回 点牌教室ボランティア 松下満百美
「やってあげてるという意識は無いほうがいい」 - 第24回 フリーアナウンサー 松本圭世
「高校野球中継のスタンド取材が今に生きています」 - 第25回 子供麻雀教室講師 山本健
「好きな言葉は、テンパイ即リー、数打ちゃ当たる!」