オリンピック競技をはじめ、あらゆるスポーツは〈実況〉によって印象が異なる。麻雀対局もしかり。今回は〈実況〉を生業とするMC=司会者にスポットを当てる。スカパーチャンネル《MONDO TV》の麻雀プロリーグをはじめ、第一線でMCとして活躍している土屋和彦アナウンサーに仕事論を聞いた。
1964年、東京都生まれ。O型、水瓶座。日本大学文理学部卒。《MONDO TV/麻雀プロリーグ》をはじめ、《プロ野球ニュース》《GAORA/ATPテニスワールドツアーマスターズ1000》《ゴルフネットワーク》《JLCレジャーチャンネル(ボートレース専門チャンネル)》等、数多くの番組にMCとして出演。好きな役は七対子と混一色。
挫折があったからこそ
「元々は役者を目指していたんです」。言われてみると、その表情は柔らかい。《MONDO TV》を見たことのある人ならご存知かもしれないが、土屋和彦アナウンサーは麻雀プロリーグのMCを担当している。
「でもなかなか将来が見えなくて。25歳の頃、ホテルで配膳のアルバイトをしていたとき、出入りの婚礼司会者を見かけ、俺にもできる!と直感が働きました。盛り上げることには自信があったし、肉体労働の配膳よりはラクそうかなと(笑)。司会者になるにはどうしたらいいんですか。聞いてみたら、アナウンサーの範疇なので、専門の学校に通ってスキルを身につけたほうがいいと言われ、学校に通い始めました。同時にアナウンサー事務所にも所属。その事務所が現在も所属しているシオノ事務所なんです」
株式会社シオノ事務所の代表・志生野温夫氏は、日本テレビのアナウンサーとして、王・長嶋全盛期の巨人戦を担当。フリー転向後の現在も、スポーツ実況アナウンサーとして様々なジャンルで活躍している。
しゃべりの仕事の前に、制作現場で修業
「志生野社長から最初に言われたことは『アナウンサーうんぬんの前に、テレビ局の制作現場はどうなっているのか勉強して来い』と。それで、みのもんたさんがMCを務めていた《午後は⚪︎⚪︎おもいッきりテレビ》でADとして番組制作に携わることになったんです」
「当初はなんでADなんだ!?と不可解だったのですが、思い返せば、志生野社長にはすべて見透かされていたのかなと思います。当時、なんだかんだ言っても、役者への道を諦めてしまった挫折感があったことは事実。だから、お前とにかくこれをやれ!みたいなことが目の前にあり、それに従うことが、精神的にラクだったんです。自分からこうしたいとか、これやりたいという気分にはなれなかったんです。そんな自己中心的な挫折感に浸っている私に、だったらお前一度地獄見てくるかみたいな感じだったんでしょうね。私も行って参ります!みたいな。なのでAD時代はホント楽しくなかったです(笑)。年齢もさほど変わらないディレクターからとかく命令される。歯を食いしばってこの野郎!なんて闘志も無く、目の前の忙しさに追われるだけの日々。2年ほど経った頃、プロデューサーからそろそろ1本立ちしてディレクターにならないかと言われまして。やっとADを卒業するタイミングなのかなと。しゃべりの仕事を目指していますのでと伝えました」
スポーツ実況アナウンサーへの転機
「でもそのAD経験が、いろんな場面で生きてくるんです。番組の面接に行くと、制作経験があるんだったら、大概のことはガマンできるから大丈夫だねと言われて採用される。その後も仕事面では、要所要所でヒキだけは強いんです」
麻雀のヒキはまったく強くないと笑う土屋さん。でもひとつの仕事に区切りがつくと、新しい仕事との出会いに恵まれたと語る。
「今から20年前になりますが、ロッテ球団が川崎球場から千葉マリンスタジアムへ本拠地を移動してから2年ほど経った頃。ベンチリポーターの依頼が事務所に舞い込んできたんです。この仕事がスポーツ実況アナウンサーとしてのスタートとなりました。当時まだプロ野球放送は地上波しかなく、巨人戦が19時〜21時までの時代。でも衛星放送が導入され、試合開始から終了まで見られるようになっていった移行期でした。だから各スポーツ番組は全般的に人手不足。とにかくなんでもいいから来てくれみたいな。サッカー、フィギュアスケート等、未経験のスポーツ実況依頼もどんどん来るようになりました」
きっかけは船上での縁
2002年放映の《MONDO TV/麻雀BATTLE ROYAL》。このときから実況を担当し、今年で13年目を迎えた土屋さん。麻雀MCを始める縁は船上にあった。
「スポーツ新聞が主催する船旅があったんです。踊り、麻雀、落語等のレジャーを船内で楽しみながら2泊3日でグアムに行くツアー。私はたまたまMCを担当していたんですが、著名な麻雀プロも乗船していました。帰国してしばらく経った頃、MONDO TVのプロデューサーが麻雀を競技=スポーツとして捉えたいので、スポーツ実況アナウンサーを探していたらしいんです。そこで私の名前を出してくれたのが、船旅で出会った麻雀プロの方だったというのです。その縁からですね。麻雀MCとしても活動させて頂くようになったのは」
麻雀MCという仕事をするにあたって
「片山まさゆき先生の漫画は読みましたね。《打姫オバカミーコ》。この漫画はものすごく役立ちました。とくに点数に関する意識。何着になるためには何点必要。だからどんな役を作っていく必要があるのか。そういった競技的な感覚は、麻雀MCをやるまでは考えたこともありませんでした。それまでの麻雀との関わり方は、ただ単に打って遊んでいただけなので」
知ったかぶりはご法度
初めて麻雀牌に触れたのは中学2年の野球部時代。それから麻雀に没頭することはなく、つかず離れずといった感じだった。最近は月に1回事務所のメンバーと麻雀をやったり、MONDO TVでもおなじみのバビィこと馬場裕一プロと片山まさゆき先生が主宰する麻雀大会《GPC(グッドプレイヤーズクラブ)》にも出来る限り参加している。
「正直なところ、私は麻雀のすべてがわかっていません。麻雀MCとしては、麻雀のすべてを理解したうえで、わからない体でしゃべるのが理想です。ただわからないからこそ、解説担当の梶本琢程プロに素直に聞くようにしています。たまたま私と同じような麻雀レベルの視聴者からすると、自分の目線でしゃべっていると受け取ってくれる。でも目の肥えたレベルの人から見ると、麻雀をわかっていないお前が何を言っているんだと感じられているかもしれません。実はわかっていないと思われるのはイヤだなと思った時期があり、わかった風にしゃべったことがあったんです。でもダメですね、それは。知ったかぶりはすぐに露呈してしまうものです。麻雀だけじゃなく、様々な種目でもそうです。よくよく考えれば、自分自身はトッププロのレベルで戦った経験はないわけですから、当然ですけどね」
この仕事の面白いところ
「スポーツが持っているドラマ性があるような無いような、でもやっぱりあるようなドキドキする感覚。これをテレビを通じて視聴者と共有できる。この高揚感は他の仕事では味わえません。冷静に客観的に伝えることも大切なんですか、ある程度は感情を出したほうがドラマ性が伝わりやすいのかなとも思っています」
プロ野球中継から学んだ実況として必要なこと
「アナウンサーはジャーナリスト。このことを認識出来たのは、プロ野球中継での失敗がきっかけでした。それまではアナウンサーはしゃべるのが仕事だと思っていたんですが、しゃべることを取材することも仕事なんだと」
「それはドラフト1位で入団したピッチャーが数年経って、やっと1軍にあがってきた試合でした。でも出番は明らかな敗戦処理。だから私は取り上げる必要が無いと判断し、実況でもその選手の人となりに関しては触れませんでした。怒られましたね。志生野社長に。大衆は、ドラフト1位のあいつなのか!? どういう経緯で這い上がってきたのか? 今日という日をどんな気持ちで迎えたのか? そういうことに興味がある。ベンチ裏で取材出来る立場にいるのに、それもしなくてどうするんだ。大衆が知りたいことを伝えるのが我々の仕事なんだと」
「それからは実況前に取材で話を聞き、さらに聞いたことの裏を取る。そして聞いたことを話せるタイミングがあったら実況に挟み込む。この基本スタンスは、プロ野球中継でとことん鍛えられました。そして麻雀実況でもとても役に立っています。出場選手から最近取り組んでいること聞いて、その選手が親番のときに話をしようと解説席に入る。そんなときにかぎって、好配牌で3巡目にはリーチ(笑)。これでは話すタイミングはないんですが、こういった取材の積み重ねが、見た目の奥にある事実の一端を伝えられるのではないかと思っています」
麻雀MCとしての未来
「麻雀対局番組は過渡期に入ったと言う人もいますが、黎明期が続いているのかもしれません」と語る土屋さん。日本のプロ野球実況解説の歴史は約80年。その観点から言えば、麻雀実況解説はいまだ黎明期なのかもしれない。
「今後どういう実況が麻雀対局番組のスタンダードになっていくのかはまったくわかりません。でも、麻雀MCがどう進化していくのか、私自身も興味があります。ただ進化していくとしても、番組の体は保って欲しいなと願っています。ネット配信の対局動画を見ていると、誰かに見せるためではなく、自分がしゃべりたいことだけをしゃべる。そんな動画が増えている気がするからです。たとえば『俺だったら2ピン切りだね。2ピンしかないよ。あ〜あ。1ピン切っちゃったよ。これではプロの一打とは言えないね』。口調も含めてこんな上から目線の実況では、見ている人に不快感を与えてしまうのでは?と思うんです。『どうですか梶本プロ。それに対して魚谷プロの打牌は?』みたいな会話のキャッチボールスタイルは、ひょとしたら流行らなくなるかもしれません。でも少数意見に偏ったり、わかる人だけにわかればいいということではなく、常に大衆を意識する。私はそうありたいと思っています。年寄りの説教だと思われるかもしれませんが」
好きな映画は?
「ケビン・コスナー主演の《ティン・カップ》。落ちぶれたプロゴルファーがある試合をきかっけに復活を目指すお涙頂戴的なストーリー。わかりやすいアメリカ映画が好きなんですね。《トップガン》《タイタニック》《フィールド・オブ・ドリームス》。いかにもでしょ(笑)」
これから自分にできること
「最終目的地は見えませんが、麻雀業界は今後伸びしろが期待できる感じています。プロ雀士の社会的認知がまだまだ曖昧なので、しゃべり手ですが、私にできることがあるのではないかと。それは『麻雀業界と他業界との結びつき』。たとえば野球界、ゴルフ界、ボート界等、仕事のつながりのある業界と自然に交流でき、麻雀業界自体が広がっていく架け橋になれたらいいなと思っています」
好きな言葉
「昔は『果報は寝て待て』。今は『成るように成る』。似たようなもんですかね(笑)」
インタビューを終えて
〈実況〉とは。大辞林によると「ありのままのようす」と記してある。現場で培われた確かな取材力。感情を盛り上げる豊かな表縁力。土屋さんによって「ありのままの対局」がより魅力的に伝えられる。それは視聴者にとって此の上無い喜びとなる。
文責:福山純生(雀聖アワー) 写真:河下太郎(麻雀ウオッチ)
◎株式会社シオノ事務所
http://www.h-shiono.com/index.html
マージャンで生きる人たち back number
- 第1回 株式会社ウインライト 代表取締役社長 藤本勝寛
あらゆる挑戦は、すべて〝妄想〟から始まる - 第2回 株式会社F・R・C代表取締役 香宗我部真
<作業>が<仕事>に変わった先にあるもの - 第3回 ターナージャパン株式会社 制作部 プロデューサー 上島大右
好きなことを仕事にしようと考えるより、自分の仕事を好きになる努力するほうがいい - 第4回 フリーアナウンサー 土屋和彦
しゃべるのが仕事。しゃべることを取材することも仕事 - 第5回 株式会社セガ・インタラクティブ セガNET麻雀MJディレクター 高畑大輔
「マージャンのおかげでキレなくなりました(笑)」 - 第6回 RTD株式会社 代表取締役 張敏賢
「目指すは、新しいマージャン文化の創造」 - 第7回 漫画家 片山まさゆき
「盆面〈ぼんづら〉がいい人生。仕事も麻雀も。そうありたい」 - 第8回 株式会社アルバン 専務取締役 船越千幸
「奪い合うのではなく、増えるきっかけを生み出す」 - 第9回 健康麻将ガラパゴス創業者 田島智裕
「参加者に喜ばれ、なおかつ社会的意義のあることをやり続けたい」 - 第10回 株式会社日本アミューズメントサービス代表 高橋常幸
「希望が持てる業界を構築し、麻雀で社会を変えたい」 - 第11回 《More》プロデューサー 菊池伸城
「躊躇なく一気にやることで、世界は開ける」 - 第12回 麻雀キャスター 小林未沙
「想像力をどれだけ膨らませられるかが勝負です」 - 第13回 麻雀評論家 梶本琢程
「面白かったら続けたらいい。うまくいかなかったら次を考えたらいい」 - 第14回 麻雀AI開発者 水上直紀
「常識を疑い、固定概念を崩したい。強くなるために」 - 第15回 麻雀観戦記者 鈴木聡一郎
「ニュースがライバル。そう思って書いてます」 - 第16回 株式会社サイバーエージェント AbemaTVカンパニー編成部プロデューサー 塚本泰隆
「決断したことに後悔はしない。麻雀から学んだ思考です」 - 第17回 劇画原作者 来賀友志
「麻雀劇画の基本は〝負けの美学〟だと思っています」 - 第18回 株式会社シグナルトーク代表取締役 栢孝文
「始める、続ける、大きく育てる。愛する麻雀の“弱点”を補うために」 - 第19回 フリーライター 福地誠
「まだ本になったことがない新テーマの本を作りたい」 - 第20回 声優 小山剛志
「もがき、あがき、考える日々。一体いつまで続けられるのか」 - 第21回 映画監督 小沼雄一
「大変だけど、やってみる」 - 第22回 麻雀企画集団 バビロン総帥 馬場裕一
「プロは『人が喜ぶ』」 - 第23回 点牌教室ボランティア 松下満百美
「やってあげてるという意識は無いほうがいい」 - 第24回 フリーアナウンサー 松本圭世
「高校野球中継のスタンド取材が今に生きています」 - 第25回 子供麻雀教室講師 山本健
「好きな言葉は、テンパイ即リー、数打ちゃ当たる!」