昼は賭けないマージャン。夜は飲み食い自由の居酒屋マージャン。そんな斬新な営業スタイルの『健康麻将ガラパゴス』。創業者である田嶋智裕氏は、一般社団法人健康麻将協会の理事長も務めながら、日々様々な角度からマージャンの普及に尽力している。その熱い思いの原点に迫る。
田嶋智裕(たじま・ともひろ)プロフィール
1940年、朝鮮・会寧生まれ。O型、さそり座。1945年、日本に引き揚げ帰国。東京綜合写真専門学校卒業。『健康麻将ガラパゴス』創業者。現・一般社団法人健康麻将協会理事長。好きな役は三色同順と純チャンタ。
『健康麻将ガラパゴス』。店名の由来は?
「1964年、24歳になった頃、南米放浪の旅に出ました。28歳で帰国し、レストランを始めようかなって思っていたんです。そんな折、6歳下の弟からマージャンはどうだなんて言われ、それはいい!と即断。すぐに六本木にあったマージャン店を居抜きで買いました。開業した1968年頃は、フリー店という営業形態は存在しておらず、セット専門店としてスタートしました。マージャンブームもあり、全9卓は夕方には予約で埋まる状況。6年間経営した後、14卓入るスペースに移転し『ガラパゴス』を新規オープンしました。店名は、南米を放浪していた時にガラパゴス諸島に行ったことに由来しています。マージャン店としては、他にはまず無い店名でもあったので(笑)。そのぐらいの軽い気持ちでつけた店名だったのですが、静岡の同業者から『ガラパゴスっていうことはダーウイン進化論の法則なんだよね。マージャン界も進化しなければならないよね』。なんて言われたんです。いやいやそこまで考えていなかった。でもその考え、使わせてもらうよって(笑)」
「ただ当時は、マージャンのイメージが本当によくなかった。こんなに素晴らしいゲームなのに何か悪いことでもしているように受け取られるのはどうしてなんだろう。日々疑問に思っていたんです。似ているものでは〈お酒〉がいい例です。お酒は百薬の長とも言われているけれど、その対極にはアルコール依存症という病気もある。お酒自体が悪いわけではなくて、お酒と人がどう関わるのかが問題なんです」
「マージャンもまったく同様です。関わり方こそが大事であり、マージャンにはいいところがたくさんあるんです。そのいいところを世の中に知らせたい。そんな思いが募り、お店を経営しながら、マージャンを通して何か活動できないかと考えるようになりました。それで東京都港区の広報に相談に行き『麻布敬老マージャン大会』を提案しました。つまんない政治家が来て、挨拶されても誰も喜ばない。だったら、参加者が喜ぶマージャン大会はどうですかと話をしまして。そうしたらあっという間に定員に達しました。男性が多いのかなと思いきや、参加者の男女比は女性7割、男性3割でした。それ以来、毎年開催するようになったのですが、年に1回ではもの足りないって参加者から言われまして。それなら、マージャンの社交場を作ろうと。お店を開放し、セットだけではなく、健康マージャンも楽しめる『健康麻将ガラパゴス』が始まったんです。港区の広報に告知掲載をすると、毎週1回、50名ほどの人が集まるようになりました。『賭けないで遊べるなんて素晴らしい』と言われ、お客さんがどんどん増えていったんです」
マージャンをはじめたきっかっけは?
「6歳の頃、父から教わりました。その頃の父は軍人で、朝鮮半島に赴任していました。私は終戦後、1950年に日本に帰国し、小学校4年のときから本格的にマージャンをやるようになりました。両親と双子の兄と家族マージャン。なんて楽しいゲームなんだと、夢中になりました。戦後、父は紙芝居屋を始めました。紙芝居は子供たちが学校から帰ってこないと商売にはなりません。子供が休みの週末は、朝から書き入れ時になります。でも雨が降れば、父の仕事は休みになる。そうすると家族マージャンになるんです。だから日曜日は雨にならないかなと、ワクワクしていました。父の書き入れ時に、とても不謹慎なんですが(笑)。そうやってずっと家庭でマージャンをやっていたので、マージャンは賭けるものだという概念がないんです」
マージャンを通して行っている様々な活動とは?
「誰もやっていないことをやりたい。具体的には参加者に喜んでもらえて、なおかつ社会的意義のあること。自分の金儲けのために何かをやろうとすると、マスコミに取り上げられることはまずありません。敬老マージャン大会の開催が、私のボランティア活動の原点になっています。当時はボランティアなんて言葉もまだ無い時代でしたが(笑)。ボランティアでやっていると、手伝いたいと言ってくれる人が必ず現れるものなんです」
「視覚障害者向けの点牌(点字マージャン)もそのひとつです。NHK第二放送ラジオをたまたま聞いたのがきっかけでした。目の見えないお父さんが、家族で一番マージャンが強いんですという内容のお便りが紹介されていたんです。これはニーズがあると思い、点牌マージャン大会をやりたいと東京都盲人福祉協会と日本盲人会連合に話をしに行ったら、20人もの申し込みがありました。集合場所は渋谷駅のハチ公前。ただ当日、大雨になってしまったんです。健常者でも出かけるのが億劫になるようなどしゃぶり。でも時間通りに全員が集合していました。点字図書館で売っているシールを牌に貼り、1日楽しく過ごせたので、また来年開催しようと思いきや。参加者の皆さんから、継続的に学びたいという要望がありまして。毎月第2土曜日に点牌教室を開催するようになりました。現在はパラリンピックの正式種目を目指し、まずはエキシビジョンとして出場したいと考えています。点字将棋の仲間も一緒に出ようと盛り上がっていますよ」
「マージャンは、社会復帰につながるきっかけを生み出すコミュニケーションツールにもなりえます。だから今後は、医療機関でマージャン教室を開催することも考えています。病院の待合室でマージャンができる環境があれば、病院に行くこと自体も楽しくなる。マージャンは継続性があるのでうってつけなんです。今は来たるべきときのために、そのスタッフを養成しています」
田嶋さんのモチベーションの原点は?
「思い返せば、外国に行こうとした24歳の時、なんで自分は外国に行きたいのか。その理由が正直わからなかったんです。朝日新聞で1962年に始まった『新・人国記』という連載があって、それを読んでいたら〈外地〉(第二次世界大戦までの日本が領有していた地域)で生まれた日本人と、〈日本〉で生まれた日本人とでは少し視野が違うんだなと感じるところがありました。外地で生まれた自分には、世界に出て行こうという突き動かされるような衝動が常にあります。自分の中では、日本人としてのプライドを持たせてもらったのが南米放浪だったんです。これがモチベーションの原点かもしれません」
マージャンの世界で生きていきたい人へ
「正直、私はマージャンが下手です。朝まで付き合えよなんてお客さんに言われたときは、ガタガタ震えながらやっていたぐらいです。でもそれでいいんです。世の中上手な人とそうじゃない人のどっちが多いのか。上手な人は1~2割程度。上手くなりたい人が8割以上。ゴルフでもなんでもそう。だからマージャンが強い人の発想は商売には向きません。マージャンが弱い人の発想が商売に向いています。自分は上手だと思っている人は、なんでそんなこともできないのかという上から目線の発想になりがちなので、そんな人に下手な人の気持ちを説明するのは並大抵ではありません。だからマージャンが下手な人、もしくはやったことのない人に、いろんなことをどんどんやってほしいと思っています」
好きな言葉は?
「言葉ではないんですが、株式会社船井総合研究所の代表取締役社長、小山政彦氏が『ガラパゴスの動物に学ぶ』というエッセイが支えになっています。獰猛な強い動物が世界を制圧するわけではない。大きな体の動物が世界を制圧するわけではない。環境の変化にいかに適応するかが生命存続の意思であるという趣旨の内容です。だから渋谷で営業するにあたって、居酒屋マージャンにしたのは、若いお客さんのニーズに応えるためでした。それぞれの街に適した営業形態があるのかなと。でも若いお客さんがたくさん来てくれると思っていたらそうでもなかった。六本木時代のお客さんは渋谷にも来てくれた。昼間の健康マージャンのお客さんは、夕方以降もセットでやってくれるようになった。これはまったく予想しないお客さんの動きでした。じゃあさらに新しいことを提案しようと考え、店内を禁煙にしたら、お客さんが10卓以上に増えた。そうしているうちに、スタッフの養成方法も少しづつわかってきました。机の上でああだこうだ考えるより、行動しなくちゃわからないことはいっぱいあるんですよね」
田嶋さんにとってマージャンとは?
「人類が誇れるコミュニケーションツール。何度やっても誰とやってもワクワクする。マージャンは本当にいいものを持っています。2014年10月、私は肺がんであることを宣告されました。ステージⅡだと言われました。左の肺を全摘出と言われたんですが、手術も抗がん剤も拒否しました。でも日々こうして元気に暮らしています。抗がん剤は、がんをやっつけても、人間が本来もっている免疫細胞も殺してしまう。だから抗がん剤治療中に肺炎で亡くなってしまう人が多いんです。現在はステージⅣ。毎朝の散歩を日課とし、既存の免疫細胞を強くする丸山ワクチンを内服して生活しています。パラリンピックの正式種目、医療機関での健康マージャン。やりたいことはまだまだ山のようにあります。本当に魅力のあるゲームなんです。マージャンは」
インタビューを終えて
人は誰もが何かしらの悩みや病気を抱えて生きている。それに対する向き合い方にこそ、その人の本質が現れる。肺がんステージⅣ。気が滅入るような状況の中、やりたいことは山のようにあると熱く語る田嶋さん。病気に対して、そしてマージャンに対しても真摯に正面から向き合う。自分の使命をまっとうする覚悟を持った言葉のひとつひとつには、力強い意思を感じた。
※2016年9月3日、田嶋智裕様はご永眠されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
文責:福山純生(雀聖アワー) 写真:河下太郎(麻雀ウオッチ)
◎健康麻将ガラパゴス
http://mahjong-galapagos.com
◎日本健康麻将協会
http://kenko-mahjong.com
マージャンで生きる人たち back number
- 第1回 株式会社ウインライト 代表取締役社長 藤本勝寛
あらゆる挑戦は、すべて〝妄想〟から始まる - 第2回 株式会社F・R・C代表取締役 香宗我部真
<作業>が<仕事>に変わった先にあるもの - 第3回 ターナージャパン株式会社 制作部 プロデューサー 上島大右
好きなことを仕事にしようと考えるより、自分の仕事を好きになる努力するほうがいい - 第4回 フリーアナウンサー 土屋和彦
しゃべるのが仕事。しゃべることを取材することも仕事 - 第5回 株式会社セガ・インタラクティブ セガNET麻雀MJディレクター 高畑大輔
「マージャンのおかげでキレなくなりました(笑)」 - 第6回 RTD株式会社 代表取締役 張敏賢
「目指すは、新しいマージャン文化の創造」 - 第7回 漫画家 片山まさゆき
「盆面〈ぼんづら〉がいい人生。仕事も麻雀も。そうありたい」 - 第8回 株式会社アルバン 専務取締役 船越千幸
「奪い合うのではなく、増えるきっかけを生み出す」 - 第9回 健康麻将ガラパゴス創業者 田嶋智裕
「参加者に喜ばれ、なおかつ社会的意義のあることをやり続けたい」 - 第10回 株式会社日本アミューズメントサービス代表 高橋常幸
「希望が持てる業界を構築し、麻雀で社会を変えたい」 - 第11回 《More》プロデューサー 菊池伸城
「躊躇なく一気にやることで、世界は開ける」 - 第12回 麻雀キャスター 小林未沙
「想像力をどれだけ膨らませられるかが勝負です」 - 第13回 麻雀評論家 梶本琢程
「面白かったら続けたらいい。うまくいかなかったら次を考えたらいい」 - 第14回 麻雀AI開発者 水上直紀
「常識を疑い、固定概念を崩したい。強くなるために」 - 第15回 麻雀観戦記者 鈴木聡一郎
「ニュースがライバル。そう思って書いてます」 - 第16回 株式会社サイバーエージェント AbemaTVカンパニー編成部プロデューサー 塚本泰隆
「決断したことに後悔はしない。麻雀から学んだ思考です」 - 第17回 劇画原作者 来賀友志
「麻雀劇画の基本は〝負けの美学〟だと思っています」 - 第18回 株式会社シグナルトーク代表取締役 栢孝文
「始める、続ける、大きく育てる。愛する麻雀の“弱点”を補うために」 - 第19回 フリーライター 福地誠
「まだ本になったことがない新テーマの本を作りたい」 - 第20回 声優 小山剛志
「もがき、あがき、考える日々。一体いつまで続けられるのか」 - 第21回 映画監督 小沼雄一
「大変だけど、やってみる」 - 第22回 麻雀企画集団 バビロン総帥 馬場裕一
「プロは『人が喜ぶ』」 - 第23回 点牌教室ボランティア 松下満百美
「やってあげてるという意識は無いほうがいい」 - 第24回 フリーアナウンサー 松本圭世
「高校野球中継のスタンド取材が今に生きています」 - 第25回 子供麻雀教室講師 山本健
「好きな言葉は、テンパイ即リー、数打ちゃ当たる!」